宮沢りえと貴乃花が破局した原因がヤバい! 真相は壮絶な最期を遂げた母親にあったのだ!

宮沢りえは現在も女優として活躍している美しい女性であるが、同じく今、日馬富士事件で槍玉に挙げられている貴乃花の婚約相手である。

 

今の若い世代はあまり知られていない恋愛ゴシップであるが、宮沢りえと貴乃花は婚約発表しながらも、何故、破局してしまったのだろうか?

 

破局の原因は実は壮絶な最期を遂げた母親のりえママにあり、真相は意外なところにあったのだった。

 

宮沢りえと貴乃花の破局した原因とは?

宮沢りえは国民的美少女として1990年代初頭には絶大な人気を誇っていたアイドル。

 

1992年に貴乃花と電撃婚約会見を行ったわけであるが、当時の貴乃花は破竹の連勝街道を驀進し、初優勝をしたばかりで、兄の若乃花と供に一躍、相撲界のスーパースターに踊りだしていた。

 

時の人となっていた宮沢りえと貴乃花が婚約をするということで、こぞってマスコミはその幸せそうな2人を取り上げて、連日の様に報道していた。

 

ところが、婚約会見を行った2か月後には、何と二人は破局してしまい、一転して宮沢りえと貴乃花の幸せそうな表情は曇り、マスコミを避けるようになっていった。

 

そんな宮沢りえと貴乃花の破局した原因は、当時は誰にも明かされることはなかったわけだが、長い時を経て現在はその真相が明るみになっているようだ。

 

宮沢りえと貴乃花の破局した原因の真相は母親にあり

実は宮沢りえと貴乃花の破局した原因を知っているものは、意外な人物であった。

 

何と美川憲一である。

 

美川憲一は実は宮沢りえの母親である『りえママ』こと宮沢光子と非常に懇意な仲であった。

 

美川憲一は2014年に宮沢りえの母親である光子さんが亡くなり、話題にあがったときに、当時、宮沢りえと貴乃花の破局した原因の真相を告白しているという。

 

それによると、美川憲一に宮沢りえと貴乃花に結婚をやめさせるように、母親の光子さんは頼んでいたというもの。

 

人気者同士であり相思相愛の2人の幸せを良く思わなかった真相は非常に深い。

 

宮沢りえは当時19歳で、アイドルや女優として伸び盛りであり、かたや貴乃花は20歳という若き天才力士。

 

しかし結婚するとなれば、宮沢りえは相撲部屋の女将にならなければいけないのは明白。

 

母親は相撲部屋の女将になった後が、どれだけ大変なことかを知り、将来のある宮沢りえを案じて破局するように動いたということである。

 

相撲部屋の女将と華々しい女優のどちらをとるのかといえば、答えは明白だが、恋に浮かれている宮沢りえや貴乃花にそんな声は届くわけもない。

 

そんな感じで宮沢りえの母親は外部の力を借りて、破局させたということが真相のようである。

 

実際に美川憲一は頼まれただけで、それを行ったと言うことではないらしいが・・・。

 

宮沢りえの母は壮絶な最期を遂げている

宮沢りえと貴乃花の破局の原因をつくったのが母親の光子さんであるという真相は判明しているが、そもそも一体、どんな人物なのだろうか?

 

宮沢りえの母親である光子さんは、保険の外交員の他に銀座のクラブでホステスをし、二足の草鞋を履いて生きていた。

 

そんな時にクラブで知り合ったオランダ人の男性と関係を持ち、宮沢りえを産み、両親に彼女を預けて単身、オランダの夫家族を頼って出国。

 

宮沢りえはタクシー運転手をする祖父の元で、いとこの男の子とともに兄妹の様にして育った。

 

だが、母親の光子さんは夫との家族との関係が劣悪なものになり、離婚して帰国した。

 

その後は宮沢りえを両親から引き取って、東京・練馬区のアパートに2人で暮らし始めた。

 

宮沢りえは幼少の頃から非常に可愛かった為に、母親の知人がモデルになることをすすめて、芸能界入りさせたのだ。

 

宮沢りえの母親は昔、ホステスをしていた時の経験なども生かして、芸能界の幹部たちが通う店などに足繁く通い、芸能事務所でも非常に強い力を持つプロダクションとも人脈をもった。

 

宮沢りえがブレイクしたあとは、独断で宮沢りえと供に独立し、自身はプロデューサーとして、宮沢りえを大人気アイドルから女優としてのし上げていった。

 

しかし、宮沢りえと貴乃花の破局の裏では母親の光子さんが動いていたという真相が、関係者たちの中で発覚。

 

その後、宮沢りえは自殺未遂や拒食症などの心神耗弱状態に陥り、母娘同士の確執がある中で長年すごしたという。

 

2009年には宮沢りえは元プロサーファーの実業家と結婚するが、実はそれは表向きの顔であり、実際には何も収入源がない無職の男であった。

 

この時の結婚にも母親の光子さんは反対であり、わざわざ当時住んでいたパリから日本に飛んできて、結婚を反対しにきたというほど。

 

しかし、今回は破局させるわけにはいかない、宮沢りえは結婚に踏み切ったものの、結局は2016年3月に離婚。

 

離婚前の2014年9月23日に、母親の光子さんは肝臓がんで亡くなったが、その際、最期を看取った宮沢りえはその時の様子をテレビ番組に出演した際に語っている。

治療をしないと決めたときに私は満足だった。無駄な延命(治療)をしないと決めて過ごしていたけど、母の部屋から桜が見えるんですね。母が『来年もこの桜が見たい』って言って。初めて生に対しての執着を感じた」と母親の忘れられない言葉を明かした。

それを聞いた笑福亭鶴瓶(64)は「安心させたかったんだと思う。みっちゃんはそういう人やで。“大丈夫、来年も生きている”って(言いたかったのだろう)」とフォローした。

そして、りえママの最期を看取った話を。
ウチの母はがんだったんだけど、死に様はすごいその人が出るものだって。死ぬ瞬間やその人がしゃべった言葉が忘れられないと話した。 

息を引き取る瞬間も一緒にいられた。壮絶だった。息を吸って吐けることがすごいことなんだと教えてくれたし、命に限りがあると告げられた人に誠実さを欠いちゃいけない。すごいモデルがいたから」と親の死に目に立ち会ったことで、教えられたことがあると語った。

自分の好きな人との結婚には、最後まで反対した母親であるが、その宮沢りえの心境は非常に感慨深いものであるのだろう。

 

おわりに

宮沢りえと貴乃花の破局の原因には母親の光子さんが絡んでいたという真相を紐解いてみた。

 

母親の気持ちとしては、絶対に将来が自分にとっても宮沢りえにとっても良いという男性出ない限りは、人生を大きく左右する結婚には承諾できないというのも、母親ならではの気持ちであるだろう。

 

しかし、一報では自分の娘を脱がせた母親とか、娘を操り人形にしているという揶揄があったのもまた事実。

 

良い母親、悪い母親という判断は個々の人間によってわかれるところであるが、何はともあれ宮沢りえがブレイクし現在も生き残っている女優にしたのは母親であることは間違いがないといえる。

 

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