甲子園でお馴染みの京都翔英高等学校・野球部の監督である浅井敬由が死去した。

 

あまりにも突然の訃報に甲子園のファンならびに野球関係者は動揺を隠せない様子だ。

 

浅井敬由の死因は大動脈解離という、あまり聞き慣れない病名だが、これはどの様なものなのか?

 

監督の経歴と供にみていこう。

 

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京都翔英の監督・浅井敬由

浅井敬由は京都翔英高等学校の硬式野球部の監督であり、今年の夏に行われた甲子園に京都翔英を甲子園出場に導いた。

 

またプロ野球・楽天から8位指名を受けた石原彪を育てた監督として注目を集めていた。

 

浅井経由は2015年12月に京都翔英高校の野球部の監督に就任したばかりで、今後の活躍に期待されていたのだが・・・。

 

浅井敬由の死因

浅井敬由は10月30日に自宅で突然、倒れた。

 

倒れながらも、何と自力で救急車に連絡をしたということだが、救急隊員が浅井敬由の自宅に駆けつけた時には、既に息を引き取っていた。

 

享年・56歳。

 

そして、搬送された病院で判明した浅井敬由の死因は大動脈解離によるものだった。

 

果たして、この大動脈解離とはいかなる病気だったのだろうか?

 

浅井敬由の死因・大動脈解離とは?!

大動脈は外膜、中膜、内膜による3層で構成されている血管であり、非常に強いものであるが、何かの拍子に内側にある内膜が避け、外側の中膜に血液が入り込む。

 

それにより大動脈が裂けることを大動脈解離という。

 

浅井敬由の命を奪った大動脈解離とは、とにかく突然に起きるもの。

 

胸や背中に何かが刺さった様な激痛が襲い、その痛みは徐々に身体の下部へ移っていくというもの。

 

その激痛の程度は意識を失ったり、ショック状態に陥るほどのものだそうだ。

 

大動脈解離にも程度があり、治療がしっかりと確立されているものの、浅井敬由に起きたものは、そんな時間の余裕すら無かったようである。

 

監督の強靭な精神力で、自力で救急車を呼ぶまでの意識は保ったものの、さすがにそこまでだったということだ。

 

浅井敬由が訃報によるネットの反応

 

 

 


浅井敬由監督は、自身も甲子園球児だったそうで、1977年の夏の甲子園で準優勝した東邦高校のメンバーでもあった。

 

 

関係者やファンには非常に辛い訃報だ。

 

浅井敬由監督のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

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