かわいい三田寛子の実家は意外にも質素だった! 玉の輿は旦那の不倫も許さないといけないのか

三田寛子さんは大物歌舞伎俳優の中村橋之助さんの嫁です。

 

若い時はアイドルでしたが、結構、実家は不遇だったという噂があります。

 

しかし、中村橋之助さんの嫁になり、言い方が悪いですが、玉の輿タレントとなったわけです。

 

が、この度の中村橋之助さんの不倫には、激怒している様です。

 

そんな三田寛子さんの実家や生い立ちについて、触れてみましょう。

 

三田寛子の実家は不遇ではなく一般家庭

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三田寛子さんは何気に京都の出身であり、実家は至って一般的な家庭のようです。

 

本名は中村敦子さんといい、父親はタクシードライバーを職業としている芸能とは全く無縁の普通の家庭環境だったようです。

 

不遇だったのは三田寛子さんがアイドルとして芸能界でのし上がる時や、中村橋之助さんの嫁になった時です。

 

三田寛子や実家に対する強いパッシング

三田寛子さんがまだ駆け出しの頃、不遇だったことは知られています。

 

14歳、中学2年生の頃に雑誌【セブンティーン】のモデルオーディションに合格し、芸能界入りを果たしました。

 

翌年には上京し、TBSドラマの人気シリーズ【3年B組金八先生】のスピンオフドラマである【2年B組仙八先生】で女優デビューも果たします。

 

これだけだと、一体、何が不遇なのか?と言われるかも知れませんが、芸能活動が忙しくなり、高校生になった頃には学業に支障が出て、単位を落してしまいます。

 

その結果、明治大学付属中野高校の定時制に編入せざるおえなかったとか?

梨園の妻と揶揄されて・・・

それでも芸能人としては人気を博していた為に、実績を積み上げていったのですが、三田寛子さんにとって辛かったのは、中村橋之助さんの嫁になった時です。

 

梨園の妻』と皮肉られたりして、性格は最悪などと、ありもしないパッシングをされていたようです。

 

ちなみに梨園の意味とは、元は中国の宮廷から端を発した言葉です。

 

中国の宮廷には音楽を披露する人々がいたのですが、彼らがいた場所には梨の木が沢山、植えられていたのです。

 

なので、音楽や演劇の業界のことを、一部の人間は『梨園』と呼ぶ様になったのだという。

 

そして現在は日本の伝統芸能である【歌舞伎】を指す時に、梨園という言葉をつかう人間がいるようで、そういった人間達から『梨園の妻』と皮肉を言われるようになった三田寛子さん。

 

歌舞伎の関係者などからすれば、アイドルから女優になった三田寛子さんは、歌舞伎役者の嫁としては不適格という見方があったようですね。

 

それに加えて、三田寛子さんの実家は、昔から芸能などとは全く無縁の一般家庭。

 

そんなパッシングの中で三田寛子さんは中村橋之助さんの嫁になり、3人の子供を授かり、大物歌舞伎役者の嫁として恥じない女性になっていったのです。

 

中村橋之助の不倫に対して

中村橋之助さんがマスコミ各社に謝罪会見をした時に、三田寛子さんの話になりました。

キツく、キツく、叱られました。決して説教とかではなく、キツく、キツく、叱られました。時間を忘れるくらいに…

と、苦笑いで話す中村橋之助さんの姿がそこにはあったようです。

僕の軽率な行動に怒りはあると思う

そう話す中村橋之助さんですが、三田寛子さんの怒りは収まるのには、非常に時間がかかる様子ですね。

 

かといって、これが原因で離婚ということは、ちょっと想像がつかないので、時間が解決するのを待つ感じなのではないでしょうか?

 

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