根津甚八は2004年に惜しまれつつ引退をしたが、去年に映画出演で一度きりの復活をした。
現在は脚本家や演出などを手掛ける裏方の方面で、芸能活動に復帰するとされていたが、亡くなっていたという。
根津甚八が俳優を引退した切欠である事故と病気について紐解いてみよう。
根津甚八について
根津甚八は本名を根津透(ねづとおる)と言い、1947年12月1日に山梨県都留市で生まれた。
芸名の名前の由来は講談の【真田十勇士】の登場人物に由来する。
1969年に昭和を代表する劇作家の唐十郎の劇団に入団し、演劇を学んだ後に黒澤明監督に見出されて、重要な役柄に起用されるようになり、人気と知名度を得た。
その後はテレビドラマや映画に多数、出演したものの、2004年の映画【るにん】を最後に俳優を引退。
2015年に映画【GONIN サーガ】に一度きりの俳優復帰で芸能界にカムバック。
2016年12月29日に肺炎により、死去した。
享年69歳。
根津甚八の病気とは?
根津甚八は2001年に【右目下直筋肥大】という顔の病気を患うようになっていた。
特殊な奇病と言われ、非常に珍しい病気である。
根津甚八の症状は右目を動かすことが困難になり、それに付随して視力も著しく低下。
そして、言葉を操ることも難しくなるというもので、この病気にかかってしまったことにより、根津甚八はうつ病も発症してしまったという。
視力が下がり、ろれつも回らなくなるというのは、俳優としては致命的な病気である。
うつ病になってしまうのは、当然だったかも知れない。
が、根津甚八に起きた不幸は病気にかかったことだけではなかった。
根津甚八の事故が最悪の結果に!
根津甚八は病気を抱えながらも、リハビリの為に足繁く病院へ通院し治療を重ねていた。
が、2004年7月6日の午前に交通事故を起こした。
根津甚八は自家用車で走行中に、前方の左側から自転車で道路を渡ろうとした男性と衝突。
自転車の男性は当日の夕暮れ時に、帰らぬ人となってしまったのだ。
根津甚八が事故を起こした場所は、【魔の交差点】と呼ばれる非常に見通しが悪い曰くつきの事故スポットであった。
それに加えて、根津甚八には病気のこともあり、当時は事故の原因は病気のせいと言われたこともあったという。
そして翌年の2005年に元々、患っていた病気の椎間板ヘルニアが悪化して、後遺症として麻痺が出てしまう。
根津甚八はこうした一連の不幸が続いて、2010年に俳優を引退することを決意したのだ。
根津甚八の現在の訃報に・・・
根津甚八の訃報は現在、多くの大物俳優などが衝撃を受けていることが、報道により分かる。
松本幸四郎はNHKの大河ドラマで共演し、追悼のコメントをマスコミに送っている。
また、KinkiKidsの堂本剛もTBSのテレビドラマで親子役として共演した経緯があり、その訃報にショックを隠し切れない様子で、根津甚八の死去を偲んでいる。
往年のスターに待っていた晩年は、これでもかという病気の連続と、不幸な事故であったが、それでも現在までは強い芸能界復帰の意志があった。
非常に突然の訃報であるが、心からお悔やみを申し上げます。
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