伊藤耕が死去したが死因はまさか・・・逮捕の罪は何?

伊藤耕は【THE FOOLS】のボーカルであり、現在は月形刑務所に服役中の身であった。

 

しかし、獄中で死去していたことが明かされて、往年のファンの間に動揺が走っているのだ。

 

果たして死因は一体、何であったのかを考察してみよう。

 

伊藤耕が死去! その死因は不明・・・

伊藤耕の死去の報道がもたらされたが、その報道内容で非常に目を引くものがある。

伝説のロックバンド「THE FOOLS(ザ・フールズ)」のボーカル・伊藤耕さんが16日、死去した。17日、バンドの公式サイトで発表された。

「悲しいお知らせですんません。」のエントリーでブログを更新。「伊藤耕は昨夜、服役中の月形刑務所内で亡くなりました。現在、検死結果の報告待ちです。詳細等、また判明次第、報告させてもらいます。出所が40日後だったのに残念です」と報告された。伊藤さんは2015年10月から服役中だった。

1980年結成。昨年5月には25年ぶりの新録音フルアルバム「REBEL MUSIC」をリリースした。

14年1月には「THE FOOLS」のギター・川田良さんが亡くなっている。

引用:スポニチアネックスより

基本的に刑務所暮らしは食事も運動も時間単位で管理されているので、健康的には悪くなるどころか良くなることが多いとされる。

 

検視をしなければならないというのは、その死因は変死ということであり、あまり考えたくはないが自ら命を断った自殺ということも考えられる。

 

だが、同メンバーのオフィシャルコメントでは、40日後、12月7日には出所できるということであるので、自殺の可能性も低いと思われる。

 

だとすれば、心筋梗塞、もしくは脳梗塞といった病気による死因であったと思われるが、どうだろう?

 

いずれ、オフィシャルコメントが出るので、それを待ちたい。

 

伊藤耕は逮捕が多いミュージシャンとしても・・・


伊藤耕は実は逮捕されている回数が多いミュージシャンである。

 

1986年に逮捕、1990年から2006年にも逮捕されており、2009年に逮捕。

 

そして、今回、北海道の月形刑務所に服役しているのは、2015年の逮捕によって有罪判決が出たためだ。

 

罪状は麻薬取締法違反であり、まるでイギリスのパンクロッカーのような生き方をリアルで再現していたという感じのようだ。

 

昔のミュージシャンは、破滅型の生き方を好む人種が多い。

 

だからこそ、伝説になるともいえるが、伊藤耕もそんなリアルを送って行ったということに他ならない。

 

伊藤耕について


【名前】 伊藤耕(いとうこう)

【生年月日】 1955年?月?日

【享年】 62歳

【出身地】 北海道

【所属】 The Fools

【デビュー】 1980年

 

伊藤耕のプロフィール

 

[su_accordion class=”伊藤耕のプロフィール”][su_spoiler title=”内容を確認したい方はクリック”]

【1980年】
FOOLSの結成は80年10月。
当時のメンバーは
★伊藤耕 ・ボーカル
(ルアーズ→SEX→SYZE)
★青木真一 ・ギター
(村八分→スピード)
★中嶋一徳 ・ベース
(8,1/2→自殺→SYZE)
★佐瀬浩平 ・ドラム
(自殺)

というバンド歴を経て結成に至っており、FOOLSの結成は音楽性以前に日本のパンク~ニューウェーブの潮流として捉えられたものだった。

【1981年】
結成翌年の81年からは頻繁にライブハウスに出演。
コードのカッティングを主体にした荒々しいブルースやロックンロールは、まだパンクロックの名残を感じさせるサウンドであったが、
同年秋、栗原正明(ルアーズ→自殺)がギターで加入し、ツインギターの5人組になってからはサウンド的にファンキーな要素が増えていく。

【1982年】
この年の夏、栗原に変わり川田良が加入。
川田良は(ワーストノイズ→SEX→スピード→SYZE→午前四時→ジャングルズ)
というバンド歴を持ち、まさにFOOLSに入るべくして入ったというギタリストである。

直前までジャングルズでエレクトリック化したマイルス.デイビスとパンクロックの融合とでもいうべきサウンドを実践してきた川田良の加入は、FOOLSのアレンジャー的役割も果たし、より深くスケール感のあるグルーヴィーなサウンドへと成長していった。

【1983年】
サックスの植松孝夫が参加。
同年6月ギターの青木が脱退。

【1984年】
1月、植松が脱退し、その後ギターにEBBY(じゃがたら)、パーカッションにヤスが参加。

同年9月にはファーストアルバム
『WEED WAR』が発売された。

【1985年】
ギターのEBBY脱退。
ドラムは佐瀬に変わり、マーチンこと
高安正文(ルアーズ→SEX→SYZE)が加入し、さらにビブラフォン奏者のサブが加わり6人編成になる。

【1986年】
ヤスとサブが脱退し、4人編成で活動を続けるが年末をもって活動を停止。
*
*
…この期間の伊藤耕の逮捕関連は省略 …
m(__)m
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*
【1989年】
伊藤耕、川田良、マーチンに新ベーシスト福島誠二を加えた4人で、第二期とも言える新生FOOLSが活動再開する。

新ベーシストを、世代もジャンルも全く違うメタル~ハードコア界からスカウトしたバンマス川田良の異例の人事!
2代目ベーシスト福島誠二!80’sスケートボードカルチャーに身を包んだ所謂スラッシャーで、技巧派ベーシストにして一回り下の最年少、ド派手なステージングがひと際目立つ存在であったが、加入後は世代、音楽的な溝を埋めるべくメンバーにFOOLSグルーヴを嫌と言うほど叩き込まれる。

そんな誠二の加入により、バンドはよりアグレッシブに動き、音楽的にも様々なジャンルとのクロスオーバー度が増していき、ライブと並行して新曲作りも進む。

今思えば、所謂ミクスチャーサウンドの先駆者的存在だったかもしれない。

同年、新曲ばかりを一気にレコーディングし、そのうち5曲をアナログ盤ミニ.アルバム『シリー.ブルース』として12月にリリース!
この新生FOOLS、無論賛否両論の声は上がったが、連日の如く繰り返されるアツくエネルギッシュなライブと、一枚岩となった新しい音とグルーヴに支持層は拡大していった。

【1990年】
この年はFOOLS史上最も勢力的な活動を見せた年となる。
世間では『いか天』に代表されるようなバンドブームではあったが、FOOLSは独自の活動を続け、
ライブは常に週1ペースで行い、
2月には2ndアルバム『憎まれっ子世に憚る』、
9月には3rdアルバム『リズム&トゥルース』を連続してリリース!

関東以外でも全国的にツアー、学園祭やイベントの出演も頻繁で、音楽雑誌での露出も非常に多くなったのもこの時期。
法政大学で行われた記念ライブでは3000人のファンが詰めかけるほど、ある意味全盛期のピークでもあった。

【1991年】
5月、湾岸戦争に反対したコンセプトアルバム『NO MORE WAR~地球の上で~』をリリース。
12月にはシングル『WHAT YOU WANT?』をリリース。

以降も勢力的なライブ活動は続けるが、
一方で川田良は「ポテトチップス」のサポートや他セッションに、
誠二は「グレイトリッチーズ」への参加を期に、他バンドのサポートやレコーディングに参加したりと、
メンバーのFOOLS以外の活動も増え始めていく。

【1994年】
全盛期のバンドに有りがちなメンバー間の確執。FOOLSも例外ではなかった…
ライブアルバム『ライブ.フリーダム』をリリースする頃には、後に伊藤耕が

「皆、やりたい事がバラバラになってしまい収拾つかなくなっちまった…」

と語っているように、メンバー各々の活動も多忙となり、またメンバー間の人間関係も悪化してしまい、
すでにFOOLSとしての活動はフェイドアウト状態に…事実上の活動停止。

*
*
【1995年】~【2006年】
活動停止
…この期間の伊藤耕逮捕関連は省略…
m(__)m

そして

【2007年】
活動停止期間中、幾度か再結成の話は持ち上がるもメンバー同士での話し合いで折り合いがつかず、その都度決裂していたのだが、
この年、過去のアルバム『憎まれっ子世に憚る』と『WEED WAR』の再リリースが決定し、川田良は再結成の実現化に向けて積極的に動き始める。

そして同年秋、
FOOLSは伊藤耕(vo)、川田良(g)、中嶋一徳(b)、マーチン(ds)の初期メンバーで再結成を発表!
11月には再結成ライブを行い、会場は凄まじい熱気と大観衆に埋め尽くされ、まさに伝説のライブとなり、13年の時を経て、THE FOOLSは復活を果たした!

【2008年】
5月、中嶋とマーチンが脱退。
復活早々のメンバーチェンジとなるが、

7月、ベースに福島誠二が復帰!
1995年活動停止以降はFOOLSとは真逆の音楽シーンで活躍しており、メンバーとは何年も音信不通になっていた誠二だが、バンマス川田良の熱烈ラブコールにより復帰となった。

また、新ドラマーとして秋山公康(FORWARD/ブルースビンボーズ)が加入!

現役組二人の参加により、かつての勢いを取り戻したかのように勢力的にライブを展開!
名盤『リズム&トゥルース』も再リリースされた。

【2009年】
5月、ドラムの秋山が脱退!
新ドラマーとして若干25歳、ラウド~ハードロック系で活躍していた庄内ケン(sugarbuzz、SOO)が選ばれた!

誠二加入時同様、バンマス川田良のこの異色人事に無論賛否両論はあったが、
最年少の庄内ケンは『FOOLSの穴』とも呼ばれる猛烈シゴキにも耐え、
持ち前の今までのFOOLSではあり得なかった高速ツインペダルを駆使しての若さ溢れるイケイケドラミングにFOOLSはサウンド的にも更なる進化を遂げ、都内はもちろん、関西~東北ツアーなど勢力的にライブを展開する。

しかし…

10月末、伊藤耕が又もや逮捕された!
(結果的には逮捕~拘留~拘置~裁判~判決~懲役と、計約3年近く費やす)

しかしFOOLSは活動を休止することなく、伊藤耕不在ながら川田良、誠二、庄内ケンのトリオ編成で各々がメインボーカルをとるスタイルでライブ活動は続行し、伊藤復帰まではバンマス川田良の指揮の下、3人でFOOLSを維持する事を決意した。

周囲の応援にも支えられ、独自のバンドグルーヴも生まれ始め、このスタイルも徐々に定着し、ここから約3年間FOOLS史上初となる『伊藤耕不在、3人 FOOLS』での活動が続く。

【2012年】
2月、最新アルバム『BABYLON BOMBERS』を伊藤耕不在ながらリリース!
伊藤耕の”心はいつも一緒、バイブレーションは常に発信してる”との言葉に代表されるように、収録の新曲「バビロン・ブレイカー」では塀の中から手紙で送られてきた歌詞に曲をつけるなどメンバー間の絆は深い。
アルバム前半は伊藤耕抜きのトリオで、旧作のリメイクと新曲を交え、後半は伊藤耕が歌う09年のライブ音源である。

このアルバムリリース直後に、若きパワーでFOOLSを支えてきた庄内ケンが実家事情の為、帰郷…脱退!

5月、新ドラマーとして 村上雅保(東京ホームランセンター、他)が加入!

師匠である “とうりょう “(TOM TOM )
(元バブルガムブラザースバンド、現T.T FUNK)譲りのファンキーかつソウルフルなドラミングを得意とする村上の加入により、FOOLSは前ドラマー庄内ケンの時のイケイケ縦型グルーヴから横揺れ型に少し軌道修正し、3人FOOLSでの活動は年内ギリギリまで続けられた。
いよいよ来年1月に伊藤耕が刑期を終え帰ってくる。

【2013年】
1月、伊藤耕は出所!復帰!
FOOLSは完全復活を果たす!

盛大な復帰祝ライブや、夏には広島~関西ツアーも行い、年末にかけてのNEWアルバム製作の準備に入ろうとしたまさにその時だったが…

9月末、伊藤耕がまさかの最速での逮捕!拘留!

「あり得ない…この3年間は何だったんだ?」

これにはメンバー全員ショックを隠せず意気消沈した。

わずか8ヶ月で再び3人FOOLSに逆戻りとなってしまい、現状打開を模索していたバンマス川田良は翌々11月、
「今しかない!」と兼ねてから計画していたFOOLSや自身のバンドのTHE PANTZでのヨーロッパライブ実現に向け、プロモーションを兼ねてドイツ~フランスの予定で意気揚々単身旅立ったのだが…

不運にも行きの機内でエコノミー症候群による血栓症にかかり、川田良は現地ベルリンで緊急入院!
不慣れな外国での入院に加え、この血栓症が川田良の持病である肝臓を極度に悪化させてしまったのである。
1ヶ月後、ICU付き専用機で帰国し、都内の病院に搬送されたが、病状は予想以上に重く、長期入院しざる得なくなり、川田良の年内復帰は絶望的となった。

残された誠二と村上は川田良の意志を尊重して、決まってた年内ライブ数本はキャンセルする事なく、奇形児のYasu(Vo)と關口博史(Gt)にサポートを依頼し、伊藤耕&川田良不在ながらも何とか乗りきった。

【2014年】
1月、依然として入院~闘病の日々が続く川田良だったが、正月過ぎに病状が悪化してしまい…

川田良、 2014年1月29日永眠。

30年以上もFOOLSを愛し、命をかけてバンドを守ってきたギタリスト川田良!
彼の死に多くの人々が涙した。

川田良という大看板を失い、伊藤耕は拘留~裁判中で不在。
もはやFOOLSは存続の危機となっていたが、
「フールズを頼んだぞ!」
「屍を乗り越えていけ!」
この川田良の最後の言葉を胸に、後を任された誠二、村上はバンドを解散する事なく、周囲の協力を得ながらも存続する事を決め、後任ギタリストを探し始める。

5月、川田良の後任ギタリストとして大島一威(ex藻の月)が加入!
誠二や村上とほぼ同世代の大島一威!
持病再発で療養中の身ではあったが、FOOLSへのアツい想いは人一倍あり、即加入を決意した。

まだ拘留~裁判中の伊藤耕の展開を見守りながら、3人で活動を再開!

「伊藤耕も川田良も居ないFOOLSでどこまでやれるのか?もはや未知数だけど、やるしかない!」

と、覚悟を決めたメンバー達だったが…

7月、何と奇跡の一審無罪判決で伊藤耕は釈放され、FOOLSに復帰したのだ!

タイミング良く、アルバム『憎まれっ子世に憚る』と『NO MORE WAR』がウルトラヴァイブから再リリースされ、8月末には再発記念と復帰祝を兼ねた盛大なライブを行い、またまた新たに再スタートを切ったTHE FOOLS。

しかし…

9月29日、加入したばかりの大島一威が静脈瘤破裂により自宅で急死!
あまりに早すぎる死に、メンバーも周囲も全員言葉を失った。
さらに、無罪判決で復帰した伊藤耕だったが喜びも束の間、予想通り検事控訴を受け、在宅起訴で二審裁判が11月から始まる事に!
今までと違い、身柄はこっちのままで
裁判しながら活動するという、これまたFOOLS史上初の在宅起訴となってしまった。

「勝てば良いが、負ければまた…」

そんな不安がメンバーを襲う。
次々に巻き起こる激動の嵐にメンバーも疲労困憊だったが、年内のライブ全ては關口博史(奇形児)Gt、宇賀秀樹(ザ.スカラベリーズ)Gt、若林一也(THE PANTZ)Sax、石井啓介Kbのサポートメンバーを入れて大編成で行い、活動を止める事なく2014年を終える。

【2015年】
1月、サポートメンバーだった關口博史、若林一也が正式メンバーとなった。
あの2013年11月の川田良の入院から、何度もFOOLSのピンチを救ってきた關口博史の加入は当然と言ってもいいだろう。

伊藤耕の二審裁判は依然続いており、3月の判決まで不安要因はあるものの、FOOLSはこの新体制で活動再開!
『判決3日前ギグ』と名付けられたライブでは関東以外に全国からもファンが応援に駆けつけた。

3月末、伊藤耕の長く続いた二審裁判の判決が遂に下る!

『一審無罪判決から一転、有罪判決!
懲役2年10ヶ月(未決7ヶ月)』

周囲も騒然としたが、二審で逆転有罪判決となったからと言って即収監?
いや、これで終わりではない!
日本は三審制で最後の最高裁がまだあるのだ!
ただ最高裁への上告は、よほどの事件や案件、憲法違反じゃない限り受理は難しいのが現状だが……

伊藤耕はこの二審判決後すぐ、可能性は低いが最高裁に上告をし、2~3ヶ月後に出される結果を待つ事になった。
これを聞きFOOLSは上告が棄却された場合も考えて、翌4月よりニューアルバムのレコーディングを開始!
先が見えない緊迫した状況ながらもレコーディングは順調に進行し予定曲は全て録り終えた。
また、ライブも平常通り行われ、
6月のワンマンライブ『自由が最高裁!シャバ~フォーエバー2015』では満員の会場の中、詰めかけたファン達の大合唱という異常な盛り上りとなった。

6月末、伊藤耕の最高裁への上告は棄却、その後の異議申し立て~差し戻しも全て7月頭に棄却され、残念ながらこれで再び懲役行きは決定したわけだが、
この後の出頭日通達が届くのが予想以上に長くかかった為(結果的には9月頭)、
話を聞きつけた各ライブハウ関係者から
『伊藤耕が居る間に是非やってくれ!』と、出演オファーが殺到し、7月末から9月にかけてのライブは東京~横浜~仙台など10本以上!
どの会場も超満員で入場制限する場面もあったほどだった。

数週間後には再び懲役に行く、それが分かってる上で伊藤耕は出頭ギリギリまでシャウトしロックし続けた。

『Super Bad!Mr.Freedom! 伊藤耕』

9月末、メンバーに見送られ、伊藤耕は出頭し、11月に刑務所に移送された。
出所は2017年の11月末予定。

FOOLSの奇妙で濃厚な14ヶ月は終わった…

【2016年】
FOOLSは解散する事なく、故 川田良の意志を継ぎ、
福島誠二b,vo、村上雅保dr,vo、
關口博史gt,vo、若林一也saxの4人で活動中!

伊藤耕の判決~出頭の期間にレコーディングした音源は現在トラックダウン中で、この20年ぶりとなるフルアルバムは夏発売予定!

また、映画『Cu-Bop』が好評の高橋慎一監督によるFOOLSドキュメント映画も制作進行中!公開日近し!

引用:TheFoolsOffecialWebsiteより

[/su_spoiler] [/su_accordion] 伊藤耕の葬儀が10月23日 月曜日に行われる様子。

ここに生前の御厚誼を深謝し謹んでお知らせ申し上げます
尚、葬儀は下記の通り執り行います

* 通夜 10月23日 (月)
18時00分より

*告別式 10月24日 (火)
11時30分~12時30分

喪主 伊藤満寿子
場所 平安祭典 高円寺会館
東京都杉並区高円寺北2‐1‐7
TEL 03‐3339‐1101

伊藤満寿子さんとは奥様であろうか?

 

未だに死因などは発表されていないが、是非、ファンの方々は訪れてみるとよいのではないだろうか?

 

おわりに

伊藤耕が死去したが、破天荒なロック生活の最期は突然、やってきたといえるのだ。

 

逮捕が多いというのも、それだけレジスタンス精神が宿っており、それが音楽性にも表現されていたとみていい。

 

長年のファンはその最期の間際の死因がどうであったのかが、非常に気になると思うが、それは後日、包み隠されることなく明らかになることを願いたい。

 

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