いかりや長介には嫁が3人?! 娘は誰の子だったのか?!

いかりや長介は過去に三回の結婚歴があり、嫁が三人いたというのは知る人ぞ知る過去だ。

 

息子の碇矢浩一さんについては別記事で取り上げている。

 

よって、ここでは過去の嫁さんのまとめと、娘の碇矢まゆみさんに焦点を絞ってお届けしよう。

 

いかりや長介の女性遍歴


いかりや長介は高校を中退後、静岡の製紙工場に勤めながら同僚たちと供にバンドを結成して、ダンスホールで演奏をしている青年だった。

 

音楽を始めた理由というのは、音楽で飯を食っていきたいということではなく、単純に女性にモテたかったということである。

 

父親には音楽をやることは反対されていたという。

 

そんな正業の傍ら音楽活動もこなしていくうちに、静岡のスナックで知り合ったホステスと結婚。

 

いかりや長介の一番目の嫁・氏名不明


いかりや長介は27歳(1959年)に、ミュージシャンになる為に結婚した妻と上京し、新宿2丁目の安アパートで二人暮らしを始めます。

 

貧乏暇なしの生活であったけど、妻にとっては後の展開を見る限り、この時は細々としながらも幸せだったと感じる。

 

1966年 いかりや長介を中心としたドリフターズがビートルズの前座としての出演に白羽の矢が立ったことから、一気に注目が集まる。

 

1969年、嫁との間に最初の子供である浩一さんが誕生するが、この頃はいかりや長介はメンバーと供に売れっ子となり凄まじい忙しさの渦中にいた。

 

その結果、どんどんいかりや長介はビッグスターとなっていく。

 

そんな中、二人目の子供が生まれる。

 

この子が娘の碇矢まゆみさんである。(娘のまゆみさんに関しては後述)

 

経済的には豊か過ぎるほどになっていったのだが、嫁は徐々に心身を患っていく。

 

具体的なことは不明ではあるのだが、おそらくは様変わりした生活といかりや長介との心の距離が空いてしまったことと、育児疲れなどからと思われる。

 

加えて飛ぶ鳥落とす勢いで売れているいかりや長介の周囲には女性も寄ってきたことも原因かも知れない。

 

心身を患い病院に通うようになって、医者の勧めもあって1978年に離婚する。

 

その後、心身症が主な原因となって亡くなったと伝えられているが。

 

いかりや長介の二番目の嫁・恵津子さん


いかりや長介は1978年後に再婚する。

 

前妻が心身を患っている時に、家の世話をしてくれにきていたお姉さんという立場だった女性である。

 

それが恵津子さんであり、後に息子の浩一さんが語っているが、家に出入りするようになった当時から『新しいお義母さんになる。』と感じていたという。

 

息子の浩一さん、娘のまゆみさんと供に平和に暮らしていた家族であったが、そんな生活も徐々に崩壊していく。

 

恵津子さんが膠原病を患ってしまうのだ。

 

膠原病とは?

ここで一つ補足。
膠原病は一つの病気ではなく、様々な身体の異常を総称する言葉である。
主に間接リュウマチ、全身性エリテマトーデス、シェーグレン症候群のことを指しており、症状としては関節に異常をきたし痛みが伴う。
更に症状が重くなると臓器にも障害が起きてくる。 原因は体内の免疫機能の低下から起きるとされている。

 

話を元に戻して、いかりや長介の二番目の嫁・恵津子さんは、そんな膠原病を患ったことによって、肉体的にも精神的にも疲弊していった。

 

そして1989年、自宅で亡くなっているところを、いかりや長介本人が発見した。

 

病死ということであるが、実際には自殺であるともあると言われているが、どちらにせよ、いかりや長介はまたしても嫁を病気で失ってしまうのだった。

 

いかりや長介の三番目の嫁・義子さん


恵津子さんが亡くなってから4年後の1993年にいかりや長介は再婚する。

 

お忍びで身内だけの結婚式は挙げたようだが、実際には義子さんとは入籍はしなかった。

 

その理由はお互いに共通している過去があったからだ。

 

いかりや長介はこれまでに愛妻に先立たれて、二人の子供がいる。

 

実は三番目の嫁である義子さんも同じような境遇だったのだ。

 

義子さんも過去に夫と死別しており、その夫との間には二人の子供がいたのだ。

 

おそらくこうしたお互いの境遇が、馴れ初めに繋がったのであろう。

 

義子さん曰く

前の家族との縁も大事にしたい。

と、いうことで入籍はしなかったというのだ。

 

その後、いかりや長介は俳優としてメキメキと頭角を表し、シリアスな演技をするハードボイルドな老練男優として評価されていく。

 

だが、2003年5月末に頸部リンパ節ガンによっていかりや長介は緊急入院を余儀なくされる。

 

その際、付きっ切りで看病をしたのは義子さんであり、約一年間、最期まで連れ添った。

 

いかりや長介が残した遺産は推定4~5億円であり、遺産分与の段階で入籍をしていなかったことで、話は暗礁に乗り上げたこともあった。

 

一部のマスコミなどは骨肉の争いなどと面白おかしく書き立てたが、実際は後に息子の浩一さんなどが証言していて、法律や遺産の性質の問題で難しかっただけであったという。

 

義子さんの存在を浩一さんやまゆみさんも成人していたこともあり、既に認めていたようで、実際にいかりや長介を最期まで一番近くで支えていたのは義子さんなのである。

 

いかりや長介の娘・まゆみについて

最後にいかりや長介の娘であるまゆみさんについて。

 

まゆみさんは前述した通り、いかりや長介の一番目の嫁である女性の子供である。

 

長女のまゆみさんにとって兄である浩一さんは、執筆活動などもして表に立ち、父の知られざる一面などを没後、公表したのだが、まゆみさんは一切、表には出てこなかった。

 

しかし、実は娘のまゆみさんも芸能界と関係するところで働いている。

 

いかりや長介が出演した大ヒットドラマ『踊る捜査線』のスピンオフ映画である『容疑者 室井慎次』に出演した俳優の担当スタッフとして活動していたという記録がある。

 

俳優などを裏から支えるスタッフとして、現在もその仕事をしているかどうかは謎である。

 

もしかしたら兄の浩一さんが代表を務めているドリフターズ事務所で目立たない様に力を奮っている可能性もあるのだが、憶測の域を出ない。

 

おわりに

いかりや長介の嫁と娘さんのことについてまとめてみましたが、そういえば長さんの命日(2020年3月20日)ですね。

 

今でも昔、録画していた長さんの主演ドラマを見たりすると時があって、思い出しながら作業していました。

 

いかりや長介はドリフターズ時代からとても華がある人物であり、決してハンサムではないけど魅力あふれる人物だったから、女性からも非常にモテたわけで。

 

しかし、残念なことに愛した嫁は悲劇的な最期を迎えてしまうというのは、何とも切ない運命を背負っていると感じるところです。

 

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