江川ほーじんは、かつて爆風スランプのベーシストとして活躍していた。

 

ところが1989年、7年間在籍していた
爆風スランプを脱退し、独自の音楽の追及へ走ることになる。

 

この脱退理由が実は誰もが一度は聴いた事がある
超名曲【Runnner】の男心をくすぐる歌詞が誕生した切欠にもなったのだった。

 

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江川ほーじんの脱退理由の背景

1982年にファンキー末吉と江川ほーじんのバンド【爆風銃】と、
サンプラザ中野とパッパラー河合の【スーパースランプ】が合わさって
結成された【爆風スランプ】。

 

ライブ中の過激なパフォーマンスや、
放送禁止用語を歌詞に込めた話題性などで、
徐々に認知され始めた爆風スランプ。

 

目立っているだけではなく、
圧倒的に優れた実力に裏打ちされた楽曲などで、
人気バンドの一つとなっていった。

 

話題性はあるものの知名度と供に、
実は爆風スランプが挙げる音楽的な収益は芳しくなかったという。

 

そんな1986年に爆風スランプの
プロデューサーとして起用されたのが新田一郎であった。

 

新田一郎は数多くのアーティストや
アイドルなどに楽曲を提供したり、プロデュース業を手掛けてきた名伯楽。

 

自身もトランペット奏者として音楽界でデビューしたが、
爆風スランプのプロデュース方針は、あくまで売れることを前提にした
楽曲作りや路線を展開しようとしていた。

 

売れるからこそ収益が上がり、
それで会社もバンドも潤い活動が出来るのは当たり前の事。

 

ところが音楽というものは魂があってこそ、
良い物が作れる=だから売れると信じている職人気質の爆風スランプのメンバーは
新田一郎の方針に疑問を感じていた。

 

江川ほーじんの脱退理由は新田一郎との確執

特に反発をしたのは、
ベースを担当してラリーグラハムに心酔し、魂を音楽に込めるという姿勢を
頑なに崩さなかった江川ほーじんであった。

 

プロデューサーとの亀裂を何とかとりもとうとする関係者たちではあったが、
江川ほーじんは自分たちのスタンスが売れる為とは言え変えられてしまうことは
許容出来なかった。

 

結局、新田一郎のプロデュース方針に従いながら、
爆風スランプは1988年に12thシングル【Runnner】の大ヒットにより、
知名度だけではなく巨大なセールスを叩きだす実力派バンドとして認められた。

 

大ヒット曲【Runnner】のブレイクによって、
1988年大晦日の第39回NHK紅白歌合戦にも出場を果たすことになる。

 

しかし、江川ほーじんは新田一郎との確執が出来て、
埋められないことを悟った時には既に脱退を心に決めていた。

 

1989年の年明けに行った日本武道館での公演の後、
江川ほーじんは爆風スランプから脱退し、自分の音楽を追求する道へ踏み出した。

 

江川ほーじんの脱退理由がRunnnerの核に

Runnnerは良く青春曲の代名詞として、
学園祭やスポーツ競技の催し物として広く使われていた。

 

歌詞もそれらを彷彿とさせるものであるが、
実際は作詞を担当していたサンプラザ中野が、これから脱退していく
江川ほーじんのことを思いながら書いたものである。

 

これを知った上で、Runnnerの歌詞を改めて読んでみると、
当時、爆風スランプの面々の心境が垣間見えてくる。

雨を避けたロッカールームで、君は少しうつむいて『もう戻れはしないだろう』といったね。

君というのは、
紛れもなく江川ほーじんのことを指していると感じる。

かかえきれぬ思いを胸に君はかるく微笑んで、振り返らず、この部屋を出て行くのか?

この部屋というのは、
爆風スランプそのもののことを指しているだろう。

飾りのない少年の心は切り裂かれて夢はいつも遠くみえてた

飾りのない少年とは、
正しく純粋なくらいに自分たちの音楽性を追求していた
江川ほーじんのことを言っていると感じる。

 

だが、そんな気持ちは大人の事情などによって、
切り裂かれて、自分たちの本当の夢は遠くなっていったという
意味合いにもとれる。

走る走る俺たち 流れる汗もそのままに いつかたどり着いたら君に打ち明けられるだろう

江川ほーじんがいなくなっても爆風スランプは走り続けるしかない。

 

たどり着いたらというのは、結果を出したらということに他ならない。

 

その時は自分たちの気持ちを正直に去っていった
江川ほーじんに伝えられるという歌詞なのだろう。

たとえ今は小さく弱い太陽だとしても 言葉もない俺たち 酷く暑かった日の夕立ち

Runnnerが発売される前の爆風スランプは知名度こそあれ、
色物扱いされて思うように会社や関係者にセールスという形で
強大なパワーを提供できなかったバンド。

 

自分たちが弱いことを重々知っているからこそ、
脱退する江川ほーじんにかける言葉がなかったという
辛い心境が歌詞に込められている気がする。

 

江川ほーじんが爆風スランプを脱退したからこそ、
実は名曲として未だに指示され続けている名曲【Runnner】が誕生した
起因にもなっていたことがお判りいただけただろう。

 

おわりに

江川ほーじんの脱退理由を細かく調べてまとめ、
名曲【Runnner】の誕生秘話や歌詞の中の解説などを取り上げてみた。

 

実は音楽というものは、
売れる曲を作ろうとして作っても、良い物が出来るとは限らない。

 

アーティストの純粋な個人的な気持ちが、
楽曲や歌詞に込められている時にこそ、多くの人間が共感してセールスに結びつくのだ。

 

例えば爆風スランプはRunnnerだけではなく、
後に【旅人よ ~The Longest Journey~】というRunnner以上の名曲を出して、
大ブレイクさせている。

 

実はこの曲は、当時バラエティ番組の企画で
過酷なヒッチハイクロケをしていた猿岩石のことを思って
作った曲である。

 

他にもこんな例がある。

 

とあるビジュアル系バンドが大ブレイクした切欠の楽曲などは、
作曲を担当しているリーダーの同級生が結婚して子供が生まれるから、
その彼の為に作った曲であったりする。

 

売れようとして売れるのではなく、
感動して共感を呼ぶからこそ、良い音楽というものは作られて、
あとになってから売れる曲になっていくものなのだ。

 

しかし、私は売れることを追求して、
プロデュースに参加した新田一郎が間違っているとは思えないし、
自分の音楽を追求して脱退した江川ほーじんも間違っているとは思えない。

 

どちらも間違っているとも言えないし、
正しかったとも言えないというのが、正直な感想だ。

 

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