コロナウイルスがいつまで続くのかに関しての考察はすることは出来ても、予言となると不可能であると考えている。
そもそも、こうした世界的なパニックや悲劇が起きると、決まって『予言』というキーワードが目立つようになる。
今回はコロナウイルスと予言の関係や、そもそもの定義などを解説していこうと思う。
予言とはそもそも?
予言という言葉を履き違えて、違っている者が多いと感じる。
そもそもこの言葉は言ってしまえば、宗教的な意味合いが色濃く反映されていると認識している。
そして、必中(必ず当たるもの)でなければ、予言という言葉の意味には当てはまらない。
加えて、合理的な説明が出来る見通しというのは、予言とは言えないと定義されている。
仮に『Aである』と予言したとして、答えは『Bだった』とするのであれば、これは予言ではなく単なる予想であっただけの話。
今回のコロナウイルスに関しても、既に以前から予言されていたと言って憚らないメディアも少なからず存在している。
これは単なる後付けであり、後付けならば何とでも言えるというのが個人的感想なのだ。
現代において予言者ということで広く認知されている人物として挙げるならば、エドガー・ケイシーやジュセリーノであるが、懐疑的な見方をしている者も多い。
私もその口なのだが、人々の『わからないことへの不安』を取り除く一つの精神的支柱となるという意味においては、価値ある人物として考えている側面もある。
コロナウイルスがいつまで続くかの予言?
コロナウイルスの蔓延により、世界中がパニックを起こしている昨今。
株式市場をはじめとする金融の世界でも、これが切欠となって凄まじい暴落の憂き目を見ている。
物理的に何の関係がない分野にまで、非常に損失を出しているコロナウイルスではあるが、これがいつまで続くのか?を予言してくれる者がいるとすれば、縋りつきたい人間がいるのも仕方がないことなのかも知れない。
よくよく氾濫している情報を紐解いて考えてみると答えが見える。
前述したように予言というものは、『必中』でなければ予言という言葉の定義には合わないと個人的に考えている。
なので、それが出来る人間はいないと断言してもいいくらいだ。
今はメディアなどもこぞってコロナウイルスの危機を煽り、人々に恐怖感を植え付けているという見方も出来る状況だ。
そんな中で『予言』という根拠に欠けるものに縋ったところで、それを信じてしまって日々の行動を決めてしまうのは早計であると思うのだが。
実際に現在、確実にいつまで続くのかを何時何分何秒という単位で、指摘している者は誰もいない。
つまり、予言などは出来ないことを匂わせている一種の答えでもあるのだ。
コロナウイルスがいつまで続くのかの予言ではなく予想ならば・・・
コロナウイルスがいつまで続くかという予言ではなく、予想ならば可能であるが、それも確実とは言えない。
方法としては過去の類似ケースを紐解いて、人々がどう動いたかなどを分析することで、終息はどの程度の期間が必要なのか?というものを計ることは可能。
今回の新型コロナウイルスは2003年に大規模な広がりを見せたSARSのいわば親戚みたいなものである。
2003年のSARSは14ヶ月で終息をみたと言えるが、今回もそれに当て嵌まるかどうかは断言出来ないところだ。
しかし、1年間という短い様で膨大な時間の中において、相手が例え未知の病原体だったにせよ抗う結果が一つとして出ないなんてことはあり得ないと感じる。
実際には予言ではなく予想ということであるので、事態はもっと早期に終息を見るかも知れない。
或いはMERSの様に現在進行中の伝染病として、人々がそれを認知する形で落ち着くかも知れない。
個人的には、コロナウイルスがいつまで続くのか?という問いは必ずしも適正ではないと感じている。
もっと具体的に言うのであれば
『コロナウイルスが切欠で起きている様々なパニックはいつまで続くのか?』
『コロナウイルスが不安材料であり続ける期間はいつまで続くのか?』
と、いう方が正しいといえるだろう。
これら問いの答えならば、早ければ夏・・・わずか数か月のうちにパニックは終わりを迎えると感じている。
何故ならば人々は不安ばかりを抱えては生きていけないし、不安を感じる要因である情報というのに慣れる生き物であるからだ。
実際にこういったパニックを助長しているのは、大手メディアなどであると言っても過言ではないが、ここは特定の組織などを否定する場所ではないので割愛する。
後者の問いに関して言えば、抗ウイルス薬やワクチンが開発されて一般普及するするまでは、前例をなぞるならば少なくとも一年の期間は必要なのかも知れない。
しかし筆者はコロナウイルスをそれほど恐れていないのだ。
むしろ恐れているのは、恐れることを必要としないコロナウイルスが切欠となりパニック心理が働いて、多大な損失を被っている金融市場の在り方や、人々の意識だ。
それらは本来、全く関係のないところにまで飛び火して、失わなくても良かったものまでも失わせる悲劇に繋がるからだ。
残念なことに金融市場においては、経済の総本山であるアメリカとて食い止めることが出来なかったので、時間の経過が必要というしかない。
加えて人々の意識も未だに薬局などにいっても、紙類が品薄であることからみても、不安を煽って増長させた個々のパニック心理は非常に罪深いと言わざる得ない。
コロナウイルスがいつまで続くのかの予言や予想についてのおわりに
コロナウイルスの世界的な蔓延が切欠になり、誰にも分からない未来への予言や予想に注目が集まるのは、考えようによっては仕方がないのかも知れない。
だが、それを完全に結果を言い当てられる人間などは誰もいない。
分からないのだ。
分からないならば、考える必要もそもそも無い。
考えるからこそ、前述したようなパニックが起きてしまうのだ。
そしてそれが本来は起きなかった筈の損失や悲劇を生み出す要因となる。
しかし、こうした考えを日常の生活に取り入れて生きている人間は極々、僅かであることは言うまでもない。
事態の終息は考えるのではなく、『待つ』ことしか手立てはないというのも、悲しい現実ではあるが、受け容れなければならないと感じざる得ない。