豊田商事事件という昭和最大の詐欺グループの顛末は、記憶に残っている方も多いだろう。
グループのトップである永野一男会長は32歳と言う若さで、マスコミが詰めかけるカメラの前で惨殺された。
カメラの面前で永野会長の命を奪った犯人たちを主体に現在に至るまでを振り返ってみよう。
豊田商事事件について
豊田商事事件は1981年に永野一男が設立した【大阪豊田商事株式会社】が4年間で約2000億円のお金を詐欺的行為により集めた組織的詐欺事件である。
実体の無い金(インゴット)の契約やゴルフ会員権などの投資契約を、老人や主婦をターゲットに持ちかけていた。
豊田グループはピーク時は100社にもおよぶペーパーカンパニーを設立しており、社員には悪徳営業方法を駆使させて、契約を半ば強引に顧客らに持ちかけて、暴利を貪っていた。
1985年にグループ会社の外交員が逮捕されたことを切欠に、芋づる式に豊田商事の関係者らに捜査の手が及び、会長の永野一男も事情聴取。
永野一男のマンションには連日、多くのマスコミが詰めかけており、大阪市北区のマンションに一人で籠っていた。
そして、白昼堂々、マスコミの面前で、自称・鉄工所経営の飯田篤郎と飯田に世話になっている矢野正計の2人組に襲われて、絶命。
豊田商事事件の首謀者である永野一男が犯人の飯田と矢野に殺害されたことで、多くの謎を残すことになった。
2000億円もの巨額の大金の行方は結局、分からないまま、被害者の救済も全ては行われずに、これは裁判なども含めて2000年以降までもつれる事件となった。
豊田商事事件の犯人について
永野一男をマスコミの面前で命を奪った犯人の一人、飯田篤郎は当時56歳。
飯田篤郎は当時、町工場を経営している男で、従業員には高齢者や身障者を雇用していた。
共犯の矢野正計は当時、30歳であり、飯田篤郎に世話になっている青年であり、飯田篤郎に義理を立てて、犯行に及んだのだ。
犯人の飯田と矢野が永野一男に凶行に及んだ映像は、現在も尚、動画サイトをくまなく検索すると閲覧可能である。
だが、あまりにもショッキングな内容であるので、映像をここで掲載することは控える。
ここでは、当時の映像から音声を抜き出したものを、テキストとして記載しておこう。
- 豊田商事事件の犯人の音声起こし 内容を確認したい方はクリック
- 咥えタバコでポケットに手を突っ込んだ二人組・飯田篤郎と矢野正計がマスコミの前に現れる。
惨劇はマスコミのレポーターが、飯田に質問を投げかけるところからはじまる。
レポーター『どういう仕事ですか?』
犯人・飯田篤郎『あたし? 鉄工所』
レポーター『そちらは?』
犯人・矢野正計『一緒や。』
レポーター『今日、お会いになる?(永野会長と)』
犯人・飯田篤郎『ちょっと会いたいと(永野会長と)思うて来たけど、おまえらいたら会われへんやないかい。』
レポーター『とりあえず我々は待っていますから、どうぞお入りに・・・』
犯人・飯田篤郎『今日、兵庫県警きとんの?』
レポーター『来てません、警察いません。』
犯人・飯田篤郎『ふん、おらんの? ほんならちょっとのいてくれや。 ちょっと会いに行くわ。』
マスコミにいないと言われると、飯田篤郎と矢野正計は永野会長の自宅の部屋の前へ移動。
犯人・飯田篤郎『俺は頼まれてんねや。 ぶっ殺してくれって。 だから、黙って殺したら俺もひっかかるわいな。 だから話聞いたろ思ってきとんのや。』
飯田篤郎は永野会長の雇ったガードマンに向けて、不敵な笑みを浮かべて言う。
犯人・飯田篤郎『おい。 ガードマンよ。 酷いのう。 こんな奴の為に。 ええ?! 俺んとこガード来い! なんぼ貰うとるんねや、おまえ?』
犯人・飯田篤郎『俺はブスっとやらへん。 心配すな。 ちょっと呼べや。(永野会長を)』
マンションの管理人が合鍵で部屋の扉を開錠しようとするが開かない。
犯人・飯田篤郎『ちゃうぞ、こんな問題はおい! え?! 87のおっさんつかまえて850万もとりやがって、え?!』
犯人・飯田篤郎『おい! そろそろやろうか?(矢野に言う)』
飯田篤郎がマスコミが使用していたと思われるイスで、部屋のドアを狂ったように叩く。
犯人・飯田篤郎『おい! バール持ってこい!』
すると矢野正計がドア横の窓ガラスに近づき、格子に手をかける。
犯人・飯田篤郎『そんなもん、とってまえ! おおい、ちょっとみんなのいてくれ!(マスコミにむけて)』
矢野正計が格子を数本引きはがして、隙間から窓ガラスを蹴破る。
犯人・飯田篤郎『とってまえ!』
矢野正計が古新聞にくるまっていた銃剣を抜いて、蹴破った窓から室内に侵入。
犯人・飯田篤郎『くそったれ! おんだらぁ!』
矢野正計に続いて、飯田篤郎も室内に侵入。
室内からは激しい物音と、微かに断末魔の様な悲鳴が聞こえる。
その後、矢野正計が血塗れとなって銃剣をかざしながら、窓から出てきた。
犯人・矢野正計『警察どこや?!』
遅れて飯田篤郎も窓から出てきて、
犯人・飯田篤郎『おい! 警察呼べ、はよお。 俺が犯人や! お! はよう呼べ!』
室内から出てきた犯人の飯田篤郎も矢野正計も永野会長の返り血で、血塗れになっていたのだ。
映像ではさすがにカットされていたが、実際には外のマスコミに向けて、飯田と矢野は絶命して血塗れの永野会長の顔をカメラに向かって晒していたそうだ。
マスコミの前で起きた衝撃的な事件は、当時、日本中を戦慄させて、30年以上経った現在でさえ、これ程のインパクトがある顛末は類を見ない。
犯人の飯田篤郎と矢野正計は、すぐに現行犯逮捕されて、翌年には飯田に懲役10年、矢野に懲役8年の実刑判決が下った。
そんな犯人は30年以上経った現在はとうに釈放されており、その情報が出回っているのだ。
豊田商事事件の犯人は釈放されて現在も生きている
飯田篤郎は主犯として共犯の矢野正計よりも2年多く服役し、釈放後は現在は86歳であり、近畿地方のとある都市で余生を送っている。
3DKの家賃7万円のアパートに妻と供に現在もひっそりと暮らしているのだそうだ。
共犯の矢野正計は現在は60歳となり、釈放後は大阪市内で暫く生活していたそうだ。
美人の嫁をもらい、子供5人にも恵まれて、雀荘を経営していたが、2010年頃に大阪から広島の方へ引っ越したという。
実は某週刊誌では、釈放された後、犯人の飯田と矢野はどういうわけか仲違いをし、供に永野会長を刺したのは自分ではないと言い張っているという逸話もあるというのだが・・・。
おわりに
豊田商事事件は筆者にとっても非常に忘れたくても忘れられない事件の一つである。
大勢のマスコミや雇われていたガードマンが何も出来ずに、ただ犯人の飯田と矢野の犯行を見ているだけだったと言う光景に戦慄をおぼえたものだ。
『この人たち(マスコミたち)何で、止めようとしないんだろう・・・?』と。
一言でいうと、これは日本中に向けた半ば『 公開処刑 』であったという印象が強く、戦慄以外の何物でもない特殊な顛末であったと現在でも感じる事件だ。
実は犯人の2人には黒幕がおり、某宗教団体がヒットマンとして雇ったという陰謀論などもあるが、それが事実であったとしても、全貌の解明は不可能に近い。
釈放後の犯人たちは特に何かを暴露するわけでもなく、ひっそりと暮らしているあたり、やはり陰謀が裏にはあったようにも思えるのだが・・・。
何はともあれ、豊田事件の最大の謎である2000億円のお金はどこにいってしまったのか?と、いう答えを出してくれる人間は、現在も尚、皆無であると言える。
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