【大阪】日曜連続爆弾魔事件! ウルトラ山田と名前が付けられた犯人は誰だったのか?

大阪で日曜連続爆弾魔事件という、非常に奇妙な事件が過去にありました。

 

この事件は他にも【ウルトラ山田事件】とか【近鉄コインロッカー爆破恐喝事件】という名前でも知られています。

 

今から40年以上前に起きたことですが、この事件の犯人は自らの名前を【ウルトラ山田】として、類似事件で既に逮捕されている男の釈放を求めるものだった。

 

日曜連続爆弾魔事件の概要と犯人について触れてみましょう。

 

日曜連続爆弾魔事件の犯人は子供?!

コインロッカー
日曜連続爆弾魔事件はコインロッカーを使った以前に起きた爆弾事件に関係している特異な事件だった。

1974年2月に起きた大阪市のコインロッカーで起きた爆弾事件。

 

この事件の犯人は千葉兄弟という44歳と31歳の年の離れた定職につかずに、その日暮らしをしている中年男性による金目当ての犯行でした。

 

しかし、日曜連続爆弾魔事件と名前がついた、この事件の特異性は千葉兄弟が逮捕されてから始まるのです。

 

大企業・近鉄から爆弾で脅迫をして金を巻き上げようとした千葉兄弟が逮捕されてから、数日後に再び爆弾事件が起きます。

 

1974年3月10日からはじまり、翌月の4月14日までの約一か月。

 

必ず日曜日に起きていた事から、日曜連続爆弾魔事件と名付けられたわけですが、実は結論からいって、犯人は特定されていました。

 

しかし、犯人が特定されているにも関わらずに、公にならなかったのは容疑者が子供であったからです。

 

日曜連続爆弾魔事件の犯人は何故、ウルトラ山田と名乗ったのか?

千葉兄弟が近鉄社長を脅す為に起こした爆弾事件の更に前の1967年1月に兵庫県の大丸神戸店という百貨店で爆弾事件がありました。

 

この事件の犯人は結局、逮捕されずに迷宮入りしてしまったのですが、爆破現場に残されていた犯人が書いた脅迫状には【ウルトラ山田】と書かれていたのです。

 

この脅迫状の存在と犯人がウルトラ山田を名乗った事実は、一般に公表されていたのです。

 

日曜連続爆弾魔事件の犯人である少年は、この迷宮入りした事件を使って、自らも【ウルトラ山田】と名乗っていたのです。

次の事を実行せよ
我々の要求に応じるならば我々は第二第三と
爆破及び放火計画を中止する
我々の要求とは千葉兄弟を訳放(ママ)せよ
要求に御応じないときは我々は近鉄百貨店
近鉄電車が攻激(ママ)目的となる我々は利益を
目的としない 甘く見るな

ウルトラ山田より

1974年3月17日に起きた近鉄デパート阿倍野店で起きた現場に残された脅迫状の内容。

日曜連続爆弾魔事件の犯人が子供であると特定した経緯

千葉兄弟が逮捕されてから、毎週、日曜日に起きる爆弾事件。

 

事件を担当していた一人の刑事が現場写真の一部に注目したことが切欠です。

 

現場写真にうつりこむ一人の少年の姿。

 

この少年の顔には刑事は憶えがあったのです。

 

別の爆破現場の写真にもこの少年は写り込んでおり、他の見物人とは違うのは歴然としていた。

 

現場に張り巡らされた封鎖ロープにしがみつくかの様に見物している少年の姿は、写真という静止している絵であっても目立っていたのです。

 

この少年が怪しいと感じた捜査本部は、この少年の身元をすぐに割り出すことに成功。

 

以前の千葉兄弟が起こした爆破事件の時に容疑者を割り出す為に行ったローラー作戦の最中で、堺市に住む中学2年生の少年がひっかかっていたからだ。

 

彼は子供でありながら、爆弾マニアであり、その知識は半端では無かったそうだ。

 

日曜連続爆弾魔事件の犯人は結局、誰なのか?

この堺市に住む中学2年生の少年は母子家庭であり、一人っ子。

 

仕事をして家計を支える母親と彼を面倒みている祖母との三人暮らしであり、少年は家計の足しにと小学生の頃から新聞配達をして働いていた。

 

小学校6年生くらいからは学校にも行かなくなり、中学生になる頃には不登校児になり、学業をそっちのけでアルバイトと爆弾を作ることに時間を費やしていたという。

 

犯人の少年の母親や祖母は生活に追われて、世間を騒がせている日曜連続爆弾魔事件のことは一切知らなかった。

 

そして、まさか自分の息子が家で爆弾を作っていたことも、全く気付かなかったのだという。

 

警察は堺市のこの少年を重要参考人として調書をとる際に、彼の指紋も採取した。

 

それを日曜連続爆弾魔事件の証拠品から出た犯人のものと思われる指紋と照合すると、ピタリと一致した。

 

少年はほどなく補導されて、警察から事件の追及をうけることになる。

 

学校の勉強を殆どしていない少年がどうやって脅迫状を書いたのかの問いに、母親に代筆を頼んだそうだった。

 

母親はこの時におかしな内容を書かせようとする息子に戸惑いを感じて、何に使うのかを訪ねると、少年は答えた。

「なんでもいいんやないけ。言う通りに書いてくれたら、それでいい。べつに何もせえへん」

母親はそれ以上、問い詰めずに言われた通りに息子に従って脅迫状を書いたのだそうだ。

 

本来ならばこの母親の責任能力も問われるのでしょうが、生活に困窮し仕事で忙しかった彼女は息子のこうした奇妙な要求を重くみていなかったのでしょう。

 

結局、日曜連続爆弾魔事件として起きた4件の爆破事件のうち3件は、この少年の犯行として立証されたが、事件は少年の犯行として詳しく公表されることもなく、次第に忘れ去られることになっていくのです。

 

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