古き良き時代の音楽シーンの中枢を担っていた【ザ・キング・トーンズ】の中心人物の内田正人の死去報道が流れている。
現在の音楽ファンにはあまり知られていないようだが、昭和の時代からの音楽ファンは突然の訃報に涙を隠さずにはいられないだろう。
そんな内田正人の死因を紐解くとともに、現在まで囁かれていた噂などを紐解いてみよう。
内田正人について
内田正人の略歴を以下に記しておこう。
内田 正人(うちだ まさと、1936年10月29日 – 2019年2月15日)は、日本のミュージシャン・歌手。音楽家、作詞家、作曲家、詩人。ザ・キング・トーンズの創設メンバーの一人でリーダー、リードテナー。愛称はリーダー。
神奈川県横浜市の生まれ。日本大学高等学校・中学校、日本大学で学ぶ。学生時代からアカペラ、黒人霊歌、コーラス、合唱、パワーポップ、ドゥーワップ、ニューミュージックなど多様な音楽に親しんだ。
1960年、音楽友達の加生スミオらとともにザ・キング・トーンズを結成。中心メンバーとして活躍した。1969年にグッド・ナイト・ベイビーのスマッシュヒットを放ったことで、知名度をあげた。
NHK紅白歌合戦、フジロックフェスティバル、日本有線大賞など檜舞台への出場経験も持つ。
1998年ごろ、サントリー・ザ・カクテルバーのCM「パーティーサイズ・リニューアル編」で話題になった。
2004年に脳梗塞で倒れ、約1年間のリハビリを経て、2005年のフジロックフェスティバルでステージに復帰。2007年まで同フェスに3年連続で出演した。
2019年2月15日、死去。82歳没。
引用:Wikipediaより
日本の音楽界にブラック・ミュージックを広めたパイオニア的存在の一角を担っていたと言える略歴が輝かしい。
そんな内田正人の死因であるが、それを次に紐解いてみよう。
内田正人の死因は?
内田正人は略歴にもあるように、2004年に脳梗塞により一度、倒れている。
だが、無事に復帰を果たして、音楽活動を続けていたのだが、近年は身体の衰弱が著しく車椅子生活を送っていたことが判明している。
2月に入り、ついに自宅療養だけでは追いつかなかったようで、一週間ほど前から病院へ入院していたという事であった。
82歳の高齢ということで、衰弱が著しかったことからみて、死因はおそらくは老衰によってのものと思われる。
2004年の脳梗塞が再発というわけではないようであり、そこから15年も経った上での死去ということであり、脳に何かの死因があったとは考えにくいだろう。
内田正人の現在がヤバいと言われていた様だが・・・
ネット上を検索してみると、内田正人の現在がヤバいという言葉などが、チラホラ目に付く。
これは同姓同名の別の人間のことである。
かつて騒動を起こした日本大学フェニックスの元監督・内田正人のことであり、今回、死去した内田正人とは何も関係がない。
だが、キングトーンズの内田正人の現在はどうなっているのか?と気にかける往年のファンは多かったようで、死去報道は多くの悲しみを呼ぶことは間違いない。
ファンや往年の活躍を知っている者たちは、内田正人の訃報に込み上げる気持ちを語れずはいられないようだ。
・内田正人さん..グッドナイトベイビーはたまにカラオケで.. ショックな週末でした..合掌
・良い声だったなぁ・・・合掌
・内田正人さん逝く ご冥福をお祈りいたします
・オンリーユーも凄いよ。 内田正人さんの歌声を聴きます
・内田正人さんの歌声が凄くいい
現在、流れている死去報道は確かに悲しいが、内田正人の歌声は後世にも永久に残り続けることは保証されている様なもの。
悲しみよりも、内田正人が残した偉大な功績と歌声こそが尊いと個人的には感じているところだ。
おわりに
内田正人が現在、死去したという報道がなされて、多くのファンは悲しみと供に死因などの詳細を知ったことであろう。
日本音楽シーンに多大な影響を与えた重鎮であり、一度は脳梗塞で死の淵を彷徨いながらもカムバックした闘志も、やはり歳には勝てなかった。
だが、おそらく日本の音楽界の歴史にずっと残り続ける内田正人の美声・・・これこそが内田正人が大往生したという一つの燦然と輝く証拠である。
だが、今はただ内田正人のご冥福をお祈り申し上げます。