田村セツコという半世紀以上に渡り、活躍しているイラストレーターがいる。
黒柳徹子とも親交が深い田村セツコであるが、その生き方は非常に興味深く、特に現代の若者たちには非常に参考になるものと解釈できる。
そんな田村セツコの自宅はゴミ屋敷?という噂と絡めて、旦那や子供などの有無を紐解きながら、まとめてみよう。
田村セツコについて
出典:Yahooより
【名前】 田村セツコ(たむらせつこ)
【生年月日】 1938年2月4日
【星座】 みずがめ座
【年齢】 80歳
【出身地】 東京都目黒区
【血液型】 非公開
【学歴】 東京都立八潮高等学校
【デビュー】 1956年
田村セツコは警察官の父親の家庭に生まれた長女であり、下には妹二人、弟一人がいる。
子供の頃から、イラストを描くのが好きであり、高校に入学してからは美術部所属し、更にイラストの腕を磨き続ける。
紙と鉛筆があれば、ご機嫌という子供だった。
高校時代に昭和の挿絵画家・漫画家としても名高い松本かつぢに、絵を描いて生計を立てたいというアドバイスを聞く為に往復はがきを送ったところ、その縁で弟子入りを果たす。
少女雑誌に載っていた作家の住所に「どうすればそういうお仕事に就けるんですか」と往復ハガキで手紙を出した。
この著名作家の住所にそれまで描き貯めた絵を送ったところ、思いがけず「一度訪ねていらっしゃい」という返事がきた。「まさか素人の女の子に有名なプロの先生からお返事が来るなんて思ってもみなかったから、もうビックリ。それは私にとってものすごい大事件でした」
才能が認められそのまま弟子入り。
月に一度、松本かつぢの自宅へ通っては、指導を受けていたという。
高校卒業後は安田信託銀行(現在のみずほ信託銀行)に入社。
ちなみに田村セツコが安田信託銀行に入社した時には、銀行重役の秘書課であり、社内でも特別扱いをされる優遇ポジション。
凄まじくハードルの高い大手銀行に入社しながらも、松本かつぢの紹介で小学館の月刊雑誌にカットを描いて、イラストレーターとしてデビューを飾る。
秘書課といえば当時は働く女性の憧れの仕事であり、社内でも特別扱いされた。上司や同僚にも恵まれ、職場に不満はなかったが、悶々とした日々が続いた。絵の世界を諦めきれなかった。師匠の松本かつぢの元での修行は銀行に入ってからも続いていた。
安田信託銀行を僅か1年で退職した田村セツコは、イラストレーターを専業として活動をし始める。
最初は少女向け小説雑誌の挿絵を手掛けていた画家が急病になり、その代役として仕事をこなすようになった。
以降、挿絵の依頼が頻繁に増えるようになった。
どんな小さい仕事を受けて、迅速にイラストを描き上げて出版社に持ち込むというスタイルを続けたという。
小さなカット(挿絵)を描く仕事ではあったが出版社からの依頼は絶えなかった。昼休みに丸の内の会社を抜け出し、神保町の出版社へ原稿を届ける日々。駆け足で往復すれば休憩時間内に職場に戻れる。でも昼食の時間はない。「あの娘は昼休みに慌ててどこに行ってるんだろう?」という声も社内に出始めた。
出版社から受け取るのは手間賃程度の謝礼とはいえ、当時の銀行で副業が認められていたはずもない。二足の草鞋に後ろめたさを感じ、「どちらか一本に絞るべきでは」との思いもあった。
銀行の秘書課という人もうらやむ職場を1年で投げ出した。少女時代からの夢だった「絵を描くことを仕事にしたい」という思いを断ち切れなかった。
以降、少女漫画雑誌などには欠かせないイラストレーターとなり、1970年代には田村セツコの描いたキャラクターグッズが大ブレイク。
現在は80歳となっているが、若い頃と変わらずにイラストレーターをしながら、エッセイストとしても女性を中心に支持を受けている。
田村セツコの自宅はゴミ屋敷な理由は母親
出典:NVCより
田村セツコの自宅は原宿のマンションである。
後述する黒柳徹子のテレビ番組に出演した際に、田村セツコは自らの自宅をゴミ屋敷と呼んでいるのだ。
それもこれも母親の影響であり、田村セツコの母親は廃品を利用して、使える道具を作る女性であった。
そのせいで田村セツコも自宅に不用品を集めて、作品作りに活かしているのだという。
田村セツコと黒柳徹子は大の仲良し
田村セツコは黒柳徹子と非常に仲良しである。
徹子の部屋にも登場し、黒柳徹子が2017年1月にオフィシャルWebサイトを立ち上げた際、トップページのサイトの顔ともいえるイラストは、紛れもなく田村セツコが描き上げたイラストである。
黒柳徹子のインスタグラムの中でも書いているが、田村セツコを『セッちゃん』と愛称で呼び、長い間、お友達であると明言している。
田村セツコには旦那と子供はいるのか? 若い頃の画像がヤバい!
田村セツコは現在も前述したゴミ屋敷と銘打つ原宿のマンションで一人暮らしであるという。
これまでに結婚していた形跡は全くなく、自身もかつてメディアにこう公言している。
私は流れで自然と仕事のほうにきちゃったけど、できるなら結婚もいいし、朗らかなお母さんになるのもいいかなと思っていました。でもデートをしていても、「今日は締切だ」と締切優先になって。松本かつぢ先生に紹介していただいてこの世界に入ったのに、締切がルーズだったら先生にも迷惑をかけちゃう、という思いが常にありました。
以前、結婚か仕事かで悩んでいたときに、憧れの編集者の方にばったりお会いして、「私はどちらに重きを置くべきでしょうか?」って聞いてみたの。いきなりそんなことを聞くのも唐突よね(笑)。そうしたら「Y字の分かれ道になるでしょう。とりあえず一方の道に行ってみて、間違ってたらまた戻ればいいじゃない。じっと悩んでないで、どちらかに進んでみれば」と言っていただけました。出典:ELLEより
田村セツコは若い頃の画像などを見ると、女優の加賀まりこの様に美しい顔立ちをしていたこともあり、非常に男性からはモテていたことが伺える。
更には銀行勤めしていた時は秘書課であった為に、尚更、男性には不自由していなかっただろうし、自身の昔話を読んでみると彼氏などはいたようだが、仕事を優先にしていたのがよく分かる。
おそらくは一度も結婚をせずに、イラスト一本で自分の人生を生き抜いてきたと思われる。
旦那も子供もいないということが結論として垣間見えてくる。
田村セツコがイラストレーターの第一人者になれた理由
田村セツコはおそらくは日本でトップのイラストレーターであると言っていい大御所である。
イラストレーターとして、田村セツコの様に大成功をするというのは並大抵ではないのは、容易に想像がつく。
しかし、その理由は田村セツコの生き方そのものに答えが出ていると思える。
それは、独身をとおして、女性が喜ぶイラストを描き続けていたから。
現在、ママをしながらビジネスで成功している女性は沢山いるが、決してニーズが大きくないイラストという市場で第一人者としてトップに居続けるということは、それなりの犠牲を払わなければ叶いようがない。
旦那の面倒や家事や育児に追われながらであれば、現在のような圧倒的な成功を手にする事は出来なかったはず。
自分の命を全てイラストに注ぎ込み、その世界の人脈なども大事にし続けた故に、勝ち取った成功と言えるのではないだろうか?
おわりに
田村セツコというイラストレーターを取り上げてみた。
80歳という年齢になりながらも、不動のトップとして君臨し続けているというのは、恐れ入るところである。
旦那も子供もおらずに、自宅でイラストを描き続けているという生活は、傍目からすれば幸せなのか?と、疑問が浮かぶ人間もいるかも知れない。
だが、若い頃、これだけ素敵な顔立ちと聡明な頭脳をもっていながら、普通の女性とは違う生き方をして、イラストに命を燃やしていたというのは、素直に素晴らしい生き方であると筆者は感じている。
それは世代を超えて、現在の享楽的な若い世代にも支持をされているというのは、イラストに魂がこもっているからであるというのは間違いがないと思うのだが。