菅原勝男は7年前に秋田市の津谷裕貴弁護士の命を奪った容疑で服役中。
事件当時、警察の失態が無ければ、津谷弁護士は菅原勝男に亡き者にされることは無かったとして、遺族が秋田県と菅原勝男に対して賠償を起こした。
一連の経緯などと供に現在までの顛末のまとめをみていこう。
菅原勝男とは?
菅原勝男は秋田県秋田市に住んでいた元自営業者であり、自宅では木工品の製造なども手掛けていた。
2009年8月に全ての事業から撤退し、自宅も処分して、市内のアパートに移り住んで隠居をしていた。
事業をしていた頃に、菅原勝男は妻と離婚する際に兼ねてより金銭トラブルがあったことを認めている。
2004年から離婚調停にはいっており、後に離婚は成立していたものの、その調停の結果、菅原勝男は妻に実家の権利や借金などの清算などで揉めていたのである。
その妻の離婚調停の弁護を引き受けたのが、津谷裕貴弁護士であり、兼ねてより強い憎しみを菅原勝男はもっていた。
菅原勝男による津谷裕貴弁護士の事件
菅原勝男は離婚調停中には泣きながら事態を悲しんでいた。
それとともに『全てアイツのせいだ。 今に見ていろ・・・。』と、元妻の弁護を引き受けた津谷裕貴弁護士に対する恨みを周囲に洩らしていた。
2010年11月4日未明に事件は起きた。
菅原勝男は午前4時頃に秋田市泉北3丁目の津谷裕貴弁護士の自宅の窓ガラスを割って中に侵入。
ピストルを所持しており、計画的に津谷弁護士を襲ったのである。
寝室で寝ていた津谷裕貴弁護士と妻は異変に気づき、起き上がった。
菅原勝男は妻に向けてこう言ったという。
『旦那とアンタを〇しにきた。』
津谷裕貴弁護士と揉み合いになっている中、一度は発砲するも不発におわり、菅原勝男は所持していたピストルを津谷裕貴弁護士に奪われた。
津谷弁護士の妻が警察に通報しており、4時10分ごろに現場に警察官が到着。
状況が読み込めない警察官はピストルをもっている津谷裕貴弁護士の手をつかみ取り押さえた。
その際、津谷弁護士は『俺は犯人じゃない! こいつだ。』と叫び、妻も『あっちが犯人よ!』と警察官に向けて叫んだ。
菅原勝男はそのスキに乗じて、津谷弁護士の家の別室においてあった園芸につかう剪定バサミ(せんていばさみ)を持って、警察官に取り押さえられている津谷裕貴弁護士に致命傷を与えて命を奪った。
後に判明したのは菅原勝男はピストル以外にも武器を持ち込んでおり、事前に津谷弁護士の自宅の別の敷地にある小屋にあらかじめ爆発物まで用意していたという周到さであった。
だが、この事件の争点は別の方向に向かう。
警察官が初動をあやまらなければ、津谷裕貴弁護士は命を奪われずに済んだのではないか?ということである。
菅原勝男はどこでピストルを入手したのか?
この事件の一つのキーであるピストル。
一般人が何故、ピストルの様な物騒なものをもっていたのか?という疑問に対して、一時は菅原勝男は別の筋者ではないのか?という噂も浮上していた。
だが、後に菅原勝男は事業主であったときに、知り合いの中国人から購入していたものであると供述。
菅原勝男が持ち込んだピストルはリボルバー式のものであり、事件当時には実弾が込められていた為に、間違いなくそれによって津谷弁護士の命を奪おうとしていたことが判明。
菅原勝男による津谷裕貴弁護士の事件は警察官の失態によって起きた?
菅原勝男は津谷弁護士に致命傷を与えた後に、現場の警察官によって確保されて逮捕。
駆け付けた警察官は現場で危険なピストルを持っていた方を確認して、先に捕まえており、これは手続き上、至極、まともな状況判断であると思われるが、遺族の弟はこういっている。
『手続き上はそうでも、なぜすぐ本当の犯人を捕まえてくれなかったのか。スウェット(寝間着)姿の兄の格好を見れば、犯人ではないと分かったはず。』
『兄は怒りの中で亡くなったと思う。せっかく拳銃を取り上げ、警察が来て助かると思ったのに『お前、犯人だろ』と勘違いされてしまった。その延長線上で刺された。悲惨な死に方だと思う。』
遺族は警察の責任を追及し、その後、秋田県と菅原勝男に対して2億3000万円の賠償をもとめて裁判を起こした。
菅原勝男と津谷裕貴弁護士の事件の現在
逮捕後の裁判にかけられる前の、2011年2月に菅原勝男は警察の留置場に置いて、自ら命を断とうとしていたが、未遂に終わる。
殺人罪によって起訴された菅原勝男は2011年11月に菅原勝男の初公判が行われ、2014年9月24日に仙台高裁が無期懲役の判決を下した。
菅原勝男は現在も拘置所に服役しているが、遺族にとっては津谷裕貴弁護士が命を奪われてからは、県を相手取り賠償金の戦いを行っていた。
だが、現在、その戦いの結果が明かされた。
秋田市の弁護士、津谷裕貴(ひろたか)さん(当時55歳)が自宅に侵入した男に刺殺されたのは、駆け付けた警察官が誤って津谷さんを取り押さえたなどの過失によるとして、遺族が秋田県などを相手取り約2億2300万円を求めた国家賠償訴訟の判決が16日、秋田地裁(斉藤顕<あきら>裁判長)で言い渡される。
訴訟で良子さんは、津谷さんが菅原受刑者ともみ合って拳銃を取り上げたにもかかわらず、臨場した警官2人が津谷さんの両手を押さえた間に刺されたと主張。
また110番を受けた県警の通信指令室(当時)は、通報内容を何度も聞き直し、臨場した警官に「けんか口論」と伝えたため、緊急性の認識が共有されず、不適切な対応につながったと指摘している。
一方県側は、警官には菅原受刑者と津谷さんを識別する時間がなく、銃の暴発を防ぐ危険回避を優先して津谷さんの右手のみを押さえたと主張し、誤認したことも否定。
また通信指令室は通報した良子さんが興奮状態にあったため、正確に住所などを聞き取ろうと質問を繰り返したとし、対応と津谷さんの死亡は無関係としている。
引用:毎日新聞より
更に続く10月16日にこの裁判の結果がもたらされた。
16日の判決で、秋田地方裁判所は、現場に駆けつけた警察官の状況認識に問題があったことは否定できないとしながらも、「不法行為を構成する注意義務違反は認められない」などと述べ、県の責任を認めず、菅原受刑者にのみ、1億6,000万円余りの賠償を命じた。
秋田地方裁判所は、秋田県の責任は認めず、男にのみ賠償を命じた。
引用:FNNニュースより
7年間の菅原勝男と津谷裕貴弁護士の事件は、終焉を迎えたといっていい現在であるが、遺族にとっては無念である結末となった。
菅原勝男は現在、72歳という高齢であり、無期懲役の判決がでている為に、1億6000万円の賠償を命じられても、それを支払う能力はない。
元妻とは離婚しており、例え子供がいたとしても、彼女たちには支払いの義務はないわけだ。
これだけの長年に至った戦いの結末は、非常にあらゆる面において、遺族にとっては悲劇的な終わり方になったと言わざる得ないのだ。
おわりに
菅原勝男と津谷裕貴弁護士の事件は警察官がもしも臨機応変に動けていたのならば、確かに命を落とすことにはならなかったとは感じる。
しかし、多くを語ることは控えるが、状況が一見、外部の何も知らない人間に判断が困難な状態であったのも間違いはない。
この事件は結局、司法のトップである裁判長も現場の再現をみて、公正な判断を下したとされ、結果的には納得のいかない後味の悪い終焉を迎えたということになったのだ。