伝説的な野球選手であった野口茂樹の現在は非常に幸福に満ちている。
しかし、そこに至るまでは嫁と供に過酷な不妊治療を乗り越えて、子供をもうけた過去があった。
涙無しでは語れない野口茂樹の現在に至るまでの道程を紐解いて見よう。
野口茂樹とは?
野口茂樹は1974年5月13日に愛媛県東予市で生まれた。
現在42歳になる野口茂樹は野球のピッチャーとして、中学生時代から活躍。
高校野球では入学した愛媛県立丹原高等学校を初優勝に導き、1992年のドラフトで中日ドラゴンズから3位指名で入団し、プロ野球選手に。
その血気盛んな性格から名打者・落合博満に故意にデッドボールを与えて、骨折させるなどの過激な暴走ぶりを見せるも、1996年にはノーヒットノーランを達成。
スター選手として駆け上がるものの2000年以降は故障に悩まされて、思う様に成績は伸びずに、ついに2005年には巨人に移籍。
年俸1億円の契約で、巨人選手になった野口茂樹だが、以前の様な活躍は出来ずに、ついに戦力外通告を受けた。
野球選手として拘っており、飲食店などでアルバイトをしながら、プロ野球選手に返り咲く機会を伺っていた野口茂樹。
現在は無くなっているが、プロ野球独立リーグのチームである【三重スリーアローズ】の選手となり、37歳で引退をした。
野口茂樹の嫁
2009年、野口茂樹が巨人選手だった頃に知り合った保育士の一般女性と5月17日に入籍をした。
結婚当時は既に巨人に残留することは絶望的だった為に、嫁の両親の焼き鳥店を、引退後は継ぐ予定だった。
しかし、愛する嫁に野球選手としての輝かしい姿を見せられない野口茂樹はあくまでプロ野球選手に拘り続けたのだそうだ。
そして独立リーグではあるが、【三重スリーアローズ】の選手となり、区切りがつき引退と相成る。
そんな野口茂樹と嫁であるが、夫婦生活においても過酷な試練が待ち受けていたのだ。
そう、不妊治療と向き合う生活だ・・・。
野口茂樹の嫁の不妊治療
野口茂樹と嫁はお互いに支え合う周りが敬う程の仲良し夫婦だったわけだが、最大にして最悪の問題があった。
それは、子供が出来ないという切実なことであった。
子供が出来ない場合の選択は夫婦にとっては二つの選択肢がある。
一つは諦める。
もう一つは不妊治療を選択するということだが、これが非常に過酷である。
不妊治療は女性にとって、多くの精神的、肉体的に苦痛を伴う苦行とも言うべきものだ。
しかし、それだけではなく、経済的にも非常に負担がかかるものでもある。
不妊治療を受けて、仮に妊娠するにしても、そこまでこぎつけるには2年の月日がかかることが多く、治療費は150万円かかると言われている。
以前は国からの助成金制度があったものの、政治が変わり、極めて例外を除いては申請すら出来ない現状があるのだ。
そして、不妊治療をしても、その現状から途中で断念するケースも多く、また続けたとしても確実に子供が出来る保証はどこにもない。
当時の野口茂樹は既に億を稼ぎ出す野球選手では無かった為に、嫁と共働きをしながらの不妊治療を何と7年間も続けたのである。
そして、待望の長女である『彩葉』が誕生したのだった。
野口茂樹の現在とまとめ
野口茂樹は野球選手を引退後は嫁の実家の飲食店を継ぐつもりであったものの、野球から離れることが出来なかった。
2012年に社会人野球チーム【NPOルーキーズ】のコーチに就任し、ローカルラジオ局の野球解説者をしているそうだ。
また、2014年にはより経済的に家族に安心と安定を与える為に石黒体育施設に就職し、照明の営業マンとして働く傍ら中日ドラゴンズが運営する少年野球スクールの講師も兼任。
華やかな野球人生から一転し、苦労の連続を嫁と供に耐え続けて、不妊治療という最大級の試練を乗り越えて子供に恵まれた野口茂樹。
こんなに一般人に身近な形のドラマチックな生き様をしている元野球選手はなかなかいないのではないだろうか?