平尾誠二が癌により死去したことが多くのスポーツ関係者の悲しみを誘っている。
彼の現在をつぶさに調べるユーザーがいるくらいに、ラグビーの世界では重鎮だったわけだ。
平尾誠二の過去と現在、そして癌で死去するまでの経緯について見てみよう。
平尾誠二とは?
平尾誠二さんがどれだけすごいスターだったかというと、昨年のW杯後の五郎丸フィーバーを10倍にしたくらいの人気が10年以上続いたと言えばわかってもらえるかと。
— Nuko-Mon (@Lovelyhoneybees) 2016年10月20日
現在、ラグビー選手で最も活躍し、最も人気があると思われるのは五郎丸歩選手であるだろう。
野球やサッカーと比べては地味であるラグビーで、五郎丸の10倍の人気がるというのは、どれだけ当時、平尾誠二が注目されていたのかが分かる。
異名が【ミスター・ラグビー】ということから、平尾誠二が人々に与えていた影響力がただものではないことが伺えるのだ。
平尾誠二が死去するまでの現在
平尾誠二は1963年1月21日に京都府京都市南区に生まれた。
中学生のころからラグビーを始めて、伏見工業高校に進学後は、全国ラグビー高校選手権大会で優勝。
その活躍ぶりが何と史上最年少記録でもある19歳4ヶ月で日本代表選手に選ばれるという快挙を起こした。
その後は同志社大学に進学し、同大学のラグビー部に所属し、同志社大学ラグビー部が史上初の選手権3連覇をする結果に貢献。
その後は神戸製鋼に入社し、数々の選手権でチームを優勝に導き、選手でありながらコーチを兼任していたという逸話もあったりする。
1998年にラグビー選手を引退し、神戸製鋼コベルコスティーラーズの監督権GM(ゼネラルマネージャー)に就任していた。
選手としてスターであったが、今度は裏方として多くの選手の指導とバックアップをしていた平尾誠二は、その実績が国から認められて文部科学省の中央教育審議会委員に抜擢されていた。
平尾誠二が癌により激ヤセしていたことが話題に
ミスターラグビー、平尾誠二さん死去 53歳https://t.co/qzwxyJwZyY pic.twitter.com/3Jiq2Mnu8I
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) 2016年10月20日
2015年に放送されていたラグビーワールドカップで、平尾誠二の変わり果てた様相に俄かに疑問を持つファンがいた。
その時から往年のファンの間で浮上した疑惑が、平尾誠二は癌におかされているというもの。
そして、テレビ番組内ではコメンテーターとして呼ばれていた平尾誠二は解説もままならずに、少しだけ発言するという具合だったそうだ。
ミスターラグビーであり、元日本代表の監督を務めたこともある平尾誠二の様子にファンだけではなく、関係者もおかしいと思っていたのが確認できる。
平尾誠二が死去前から癌を隠していた?
関係者やファンはおかしいと感じており、平尾誠二自身も立っているのが、やっとであったと思える状態であったろう。
が、2016年4月5日には異業種交流会にて、平尾誠二が招かれて【ラグビーに学ぶ、リーダーシップと強い組織作り】というテーマの元、240人を前に講演会をしていた記録がある。
自分自身が癌であることを公にはせずに苦しい闘病生活の中で、必死に自分自身の今まで培ってきた知識や経験を後進に伝えようとしていた。
平尾誠二の死因は癌で間違いない
平尾誠二の訃報を伝えるニュースなどでは死因までの特定はなされていなかったわけです。
が、おそらく平尾誠二の命を奪ったのは、癌で間違いないと考えられます。
抗がん剤治療を行っていたという情報もチラホラ出てきている様です。
具体的にどの部位の癌だったのかは、続報を待つことにしましょう。
追記 平尾誠二の死因はすい臓がん
続報があったので追記します。
やはり平尾誠二の死因はすい臓がんであり、非公表にした理由は家族による要望からだったそうです。
この情報は元日本代表のラグビー選手で以前から平尾誠二と親交の深かった松尾雄治のコメントによるものです。
平尾誠二の家族が何故、死因を非公開にしたのかという理由は明らかになりしだい追記します。
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