ピコ太郎こと古坂大魔王がかつて日本テレビの人気投資バラエティ番組である【マネーの虎】に出演していたことは、前記事でも書いた。
つまり、その頃から海外を視野にいれていたわけで、現在、PPAP(アッポーベン)での成功も既にマネーの虎出演時から思い描いていたのかも知れない。
ここではピコ太郎となる以前の古坂大魔王がマネーの虎に出演した際の内容を中心に書いてみよう。
ピコ太郎こと古坂大魔王がマネーの虎に出演したのは?
ピコ太郎になる前の古坂大魔王がマネーの虎に出演したのは、2003年11月10日。
当時のマネーの虎はゴールデンタイムから外れた月曜深夜枠の時間帯で放送されており、内容も一般志願者の投資プレゼンというものから、芸能人やスポーツ選手を相手にするものに変わっていっていた。
その時に志願者として出演したのが、古坂大魔王である。
当時はまだ【底抜けAIR-LINE】の古坂和仁としてホリプロ所属ではあったが、活動休止していた。
【ノーボトム!】としてお笑いと音楽を融合させた音楽ユニットを組んでいた古坂大魔王はロンドンでバンドをデビューさせる資金として700万円を社長たちに投資して欲しいという旨で、マネーの虎に挑んだ。
古坂大魔王の音楽性は絶賛されている
古坂大魔王は底抜けAIR-LINEでの実績をアピールして、自分たちで制作したノーボトム!のプロモーションビデオを社長たちに見せて、高い評価を得た。
この時のプロモーションビデオの内容は派手なパフォーマンスと供に、音楽は三味線や和太鼓の音が盛り込まれ、和のテイストを盛り込んでいたものであった。
それだけではなくノーボトム!のCDの販路なども全て所属しているホリプロの力を使うのではなく、自分たちで作り出していたことにも、高い賞賛を上げたマネーの虎たち。
更にはアカペラで歌うことを要求された古坂大魔王は、ノーボトム!で使っていたであろう楽曲を歌い、自分たちのしたい音楽を短い中でアピールすることに成功した。
しかし、古坂大魔王が希望した700万円は不成立となってしまう。
古坂大魔王がマネーの虎で不成立になった理由
マネーの虎でブイブイ言わせていた社長たちの多くは2016年現在では、その多くが消えていっていったのはご存じだろう。
が、現在も会社を存続させて、成功している貞廣一鑑社長は、古坂大魔王を面接し、『必ず成功できます。』と言った。
現在も経営者として活躍している他のマネーの虎の南原竜樹や臼井由妃も、古坂大魔王のポテンシャルとセンスを絶賛していた。
しかし、希望金額の700万円の内訳がまずかった。
そこにはノーボトム!がロンドンに渡った時の生活費なども計上されており、プランの甘さが露見してしまう。
マネーが不成立になった致命的な原因は、ロンドンでバンドをデビューさせたいという希望を掲げながら、プレゼンテーション時には、古坂大魔王は一度もロンドンに行ったことがなかった。
一度もロンドンにいってないのに、ロンドンでデビューしたいという古坂大魔王のプレゼンテーションは説得力に欠けて、音楽性は認められるものの、投資するには危ういということで不成立となった。
現在のピコ太郎になるまで
マネーの虎出演時に古坂大魔王が組んでいたノーボトム!は2008年頃にNBR(NEW BUSHIDOU RAVERS)という名前に改名。
が、音楽活動はその後、行き詰まり、古坂大魔王は再びお笑い芸人の道に舞い戻ってきたわけだが、お笑いと音楽の融合のスタンスは芸から切り離す事はなく、単独で独自のスタイルを確立していった。
そして、現在はピコ太郎というスタイルで、マネーの虎から13年の月日を経て、海外の音楽シーンに高い評価を得た。
おそらく、一気にブレイクスルーしたと思われるピコ太郎こと古坂大魔王。
その快進撃はどこまで続くのかを、じっくりと我々は見ていこうではありませんか。
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