大野雄次はヤクルト時代に息子を連れて野村克也の切り札として活躍! 現在は店【大乃】の主人に!

大野雄次はヤクルト時代に息子を連れた子連れルーキーとして活躍し、野村克也の最終兵器として知られたバッターである。

 

現在は野球から足を洗い、高級料理店【大乃】を経営し、第二の人生を送っている。

 

大野雄次のヤクルト時代と野村克也とどういった関係だったのかをメインに触れてみよう。

 

大野雄次について

画像引用:大野雄二の店より

【名前】 大野雄次(おおのゆうじ)

【生年月日】 1961年2月2日

【星座】 みずがめ座

【年齢】 56歳

【出身地】 千葉県富津市

【血液型】 B型

【学歴】 専修大学・中退

【所属】 元ヤクルトスワローズ

【デビュー】 1986年

 

大野雄二の経歴と実績

小学2年で野球を始め、中学時代は捕手。君津商業高校から専修大学を中退後、社会人の川崎製鉄千葉を経て、1986年のドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。

入団時に既に子供がおり、子連れルーキーとあだ名された。高校通算53本塁打。

大洋では勝負強い打撃で主に代打の切り札として活躍したが、1991年12月に鴻野淳基との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。

しかし、ジャイアンツでは活躍することができず、1993年11月に自由契約となった。その後、「野村克也再生工場」に拾われ、ヤクルトスワローズに移籍。

ヤクルト時代は、代打逆転満塁本塁打を1シーズン2度放つなど、代打の切り札として活躍。

「代打では変化球の軌道がイメージできない」との理由から、ストレートだけに的を絞るバッティングにこだわり、チームメートから「槍」と揶揄されていた。

1994年秋には右肩を脱臼している。

1995年のオリックスとの日本シリーズ第1戦では代打本塁打を放つ。

シリーズ初打席初本塁打は史上4人目の快挙だった。

1998年に現役引退。

大洋→巨人→ヤクルトという在京セ・リーグ3球団を渡り歩いた。

引退後は一時期、CS・J SPORTSで野球解説を行っていた。

現在はJR田町駅前で鰻・牛タンの小料理屋「大乃」を経営しているほか、スポーツ教室や講演等をこなしている。

2013年より富山県のクラブチーム・ロキテクノベースボールクラブの監督に就任。

引用:大野雄次の店より

大野雄次はヤクルト時代には息子をつれて活動!

大野雄次は読売巨人軍からヤクルトへ移籍した時には既に、嫁がおり二人の息子がいたという。

 

練習や試合などには頻繁に息子たちを連れていたことから、ファンや関係者につけられたあだ名は、子連れ狼ならぬ『子連れルーキー』であった。

 

そんな大野雄次の息子であるが、父の影響を多分に受けて、やはり野球の道に進んだ。

 

長男の息子は横浜隼人高等学校へ進み、その後、東海大学に進学し卒業。

 

その後、母校である横浜隼人高等学校の野球部コーチをしていたという。

 

次男の息子は2009年の夏の甲子園に出場し活躍したのちに、社会人となり、現在はJFE東日本の社会人野球で選手として活躍しているという。

 

大野雄次としては、自分を見習ってプロ野球選手とならずも、野球に携わった人生を送っているのは、感無量であるのではないだろうか?

 

大野雄次と野村克也との関係は険悪だった?!

画像引用:sankei.com

大野雄次はヤクルトから退団した後は、野球解説者やベースボールクラブの監督などを行い、港区の田町駅前でウナギや牛タンがメインの料理店【大乃】を経営している。

 

本人も店に立ち、多くのファンと交流しながら順調に売り上げているという。

 

大野雄次の店のHPに掲載された経歴を紐解いてみると、野村克也に拾われたとう記述が目を引く。

 

当時、大野雄次は読売巨人に入団していたが、思う様に実力を出せずに自由契約となってしまっていた。

 

そんな時に出会ったのが、野村克也であり、野村はここ一番の勝負運がある代打の力量がある大野雄次に声を変えた。

 

結果、ヤクルトの代打バッターとして、歴史に残る活躍を見せることになる。

 

1996年には代打として、2度もの満塁ホームランを放ち、チームを勝利に導いている。

 

現在でも店のHPに『拾われた』という記述をしているあたり、大野雄次は非常に野村克也には感謝していると見受けられる。

 

しかし、一報ではヤクルト時代に野村克也に捨てられて、大野雄次は野球人生にピリオドをうったという噂もあり、その関係は実は険悪になっていたという考えを持つ人間もいるようだ。

 

そもそも、野球選手というのは非常にシビアな世界であり、最初がどうであったにせよ、力が奮うことが出来なくなった選手は切り捨てられるのが当たり前。

 

それが勝負の世界、プロの世界というものであり、一般人の我々の人情や妥協などは一切、排除される。

 

野村克也もチーム全体の勝利を目的としているわけであり、1人の選手のことだけを考えてられない辛い立場にあったはずである。

 

そして、大野雄次の次の人生のことも考えて、敢えて監督と言う立場から厳しい決断をしたとみるのが妥当である。

 

つまり、ファンや一般人がみるような大野雄次と野村克也の関係に因縁があるとか、険悪な状態があるなどということは無いと思われる。

 

おわりに

大野雄次はヤクルトファンであったなら、誰でも覚えているくらいに伝説の代打手として知られている。

 

現在は店を開いて、野球にも関係する活動もしているようであり、息子もそれぞれ野球と密接な関りをもって人生を歩んでいる。

 

野球選手の晩年は非常に厳しい現実にはじかれて、不幸になっているケースが後を絶たない。

 

しかし、大野雄次に関して言えば、傍目から見ても、非常に充実して幸せな人生を送っているといっても良いのではないだろうか?

 

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