村田諒太の再戦が明日(2017年10月22日)に行われるが、5月の疑惑の判定の興奮が未だに冷めやらない。
そんな村田諒太であるが、その中学時代に非常に注目が集まっているようだ。
数々の逸話がある中で、特に衝撃的なのが鼻を怪我した時の父親が応急処置に使ったもののエピソードであるのだ。
村田諒太の中学時代は正に喧嘩師・・・
村田諒太の中学時代は荒れ果てていた。
小学6年生の時に両親が離婚しているが、経済的な理由から離婚しても父親と母親は同居していたという異質な環境にあった。
その後、父親の誠二さんが村田諒太を連れて、その後は供に暮らし始めたという。
この時のことを後に村田諒太は”『崩壊している家庭環境が辛くて、嫌で仕方がなかった・・・。』”と語っている。
中学生になり、家庭内のフラストレーションをぶつける場所は喧嘩であったという。
非行に走り、持て余したエネルギーの殆どを、人を殴ることで発散させていた村田諒太は、所謂、ヤンキーへと変貌していた。
ある日、髪を金髪に染めて中学校に登校した時に、担任に呼び出しを食らった。
担任の教師はあまりに荒れ果てた村田諒太に諭すように、これから何がしたいのかを尋ねたという。
すると村田諒太は”『ボクシングならやったるわ!』”と答えたという。
村田諒太は中学時代に2度、挫折している
担任は村田諒太の荒れた中学生生活を改善させる為に、知人のつてをたどって高校のボクシング部を紹介。
村田諒太にしてみれば、殴り合いが自身の憂さを晴らす行為であったために、何となくボクシングと口にしたわけであり、高い志を持っているわけでもなかった。
”『入って2週間ほどで、走り込みがきつかったのと、陸上部で怪我をして気まずくなったことで、2度逃げ出しています。』”
後に村田諒太は中学時代に2度、ボクシングを辞めていることを告白している。
再び毎日、喧嘩に明け暮れる生活に戻ってしまったが、ある時、心境の変化が訪れた。
それは短期間であってもボクシングを経験したことによるものである。
”『先輩とケンカして殴って髪の毛を掴んで勝ったんです。』”
”『でも次の日には『村田が負けた』って噂が広がっていて、こいつらとやり合っていてもしょうがないなと思いました。』”
”『リングの上で強さを証明するほうがよっぽどカッコイイ。』”
結局、相手はくだらない面子の為ならば、嘘も平気でつけて納得しようとする人間たちばかり。
そんな中で背比べをするのが、馬鹿らしくなった村田諒太は3度目のボクシングを行う決意を固めたということだ。
紹介された高校のボクシング部に戻るのではなく、自宅から通える距離で開設していた進光ジムの門を叩いて、ボクシングに精を出すようになったのだ。
村田諒太が中学時代に鼻を怪我した時の父親の応急処置が!
村田諒太の中学時代には、こんなエピソードもある。
中学時代に鼻を折ったことがある村田諒太であるが、その時に家に帰宅し父親に鼻が痛いことを告げると、父親は外出。
家に帰って来た父親が持っていたのが、アイスのかき氷であり、それを村田諒太に渡して”『これで冷やしておき。』”といったという。
父親が即興で考えついたアイス治療であり、こんな応急処置は今まで誰もやったことがない無責任極まりない面白エピソードとして有名だ。
氷だろうが、アイスだろうが、とにかく骨を折った時の応急処置として有効なのは患部を冷やすことである為に、理にかなっているいえばかなっているが、何とも変わっているといえよう。
結局、その後には病院にいって処置をしてもらったために、折れた鼻が曲がった状態でくっついたわけでもないので、事なきを得たが今から思うと笑える逸話である。
村田諒太は中学時代を超えて怪物に・・・
村田諒太は中学3年生から、新光ボクシングジムに通いだしたが、勉強そっちのけでボクシングの練習に明け暮れた。
その為に中学時代の成績は散々であったが、無事に南京都高等学校に進学しボクシング部に入部。
高校時代は最初は負けからのスタートであったものの、2年生になってからは3冠を達成。
この時、ボクシングジムでは4回戦のプロ同士のスパーリングに欠員が出たので、村田諒太に経験をさせる為と思い、コーチが声をかけた。
村田諒太よりも体重が重い一階級上のプロボクサーとスパーリングをすることになったが、何と村田諒太はこの時、逆にプロボクサーに右ストレートをいれてダウンさせてしまった。
しかもダウンしたプロボクサーは立ち上がれないほどのびてしまっていたということで、この時から大器の片鱗を見せつけていたのだ。
またこの経験が村田諒太に更に自信をつけさせたといってもよく、結局、高校3年生になってからは2年生の時よりも凄い5冠を達成してしまう。
その後の活躍は言うまでもなく、ボクシングのメダリストとして羽ばたくのであった。
おわりに
村田諒太の中学時代を詳しく紐解いてみたが、やはり現在の姿からは想像も出来ない程に荒れていた頃もあったようだ。
ボクシングが間違いなくヤンキーであった村田諒太を更生させたものであり、これは過去の多くの偉大なボクシング王者と同じ経緯である。
やはり一度ならず幾度となく荒んでいたからこそ、その反動のおかげで、後の地味で退屈ともいえるボクシングの練習のモチベーションを維持していけたと言ってもいい。
そんな村田諒太の世界戦の再戦が間近に控えており、今度こそはの期待を日本中のボクシングファンが思っている現在。
世界を奪取した時には、荒れ果てていた中学時代から密かに願っていた夢を掴み取れたことを証明することになり、それは人生で最高の喜びを得ることになるといってもいいだろう。