村井秀夫はなぜ殺された? 天才を死刑にした犯人は理由を既に語っている!

村井秀夫といえば、かつて存在したオウム真理教の中核を担っていた天才と謳われた幹部であった。

 

2018年7月に、地下鉄松本サリン事件や坂本弁護士一家を葬ったことにより、主要幹部の13人が死刑になったということで、村井秀夫が14人目になるはずであったという。

 

しかし、ある意味、村井秀夫は犯人によって先に死刑にされていたという言い方も解釈も出来るというものだ。

 

終わったはずの事であるが、未だに疑問符が上がっているオウム関連の事柄の最大の謎である、『村井秀夫はなぜ殺された?』について取り上げてみよう。

 

村井秀夫について

出典:Naverより

村井秀夫は1958年12月5日に大阪府吹田市で生まれた。

 

幼少の頃は内気な性格であったが、勉強や運動は得意であり、テレビ番組の影響でオカルト関連に精通する様になり、超人に憧れていたという。

 

学歴は大阪府立千里高等学校を経て、大阪大学理学部物理学科に首席合格を果たして、その後、大阪大学大学院理学研究科修士課程修了し、理学修士に。

 

大学院を出た後は神戸製鋼に就職するも、麻原彰晃の著書を読んだことを切欠にオウム真理教の門を叩く。

 

その後、神戸製鋼を退社し、職場結婚した妻と供に出家を果たす。

 

徐々にその持ち前の頭脳や、麻原彰晃に対して愚直なまでの忠誠心を見せて、オウム真理教の中では麻原彰晃に続いてのNo.2の役職である科学技術部門最高幹部にまで上り詰めた。

 

村井秀夫は天才であったが・・・

村井秀夫は天才として教団に入る前から知られていた。

 

IQは180を超えており、高校の時の同級生の証言によると、授業中は瞑想していたのか目を閉じていたのに、教師のどの様な問いにも解答出来ていたという。

 

加えて短眠を既に修得しており、2日に3時間という驚異的な睡眠時間の短さであった。

 

だが天才と自他ともに認めるほどに凄まじい頭の良さを発揮する半面、オウム真理教に入ってからの村井秀夫を知る者は、天才であると認めながらも、その奇行を評していた。

 

オウム真理教の古参幹部である岡崎一明(後に死刑)は村井秀夫の発想は奇想天外であり、園児の戯言と後に証言。

 

同じく幹部で死刑となった土谷正実も生前、村井秀夫をこう評している。

村井さんは机上の学問では優秀だったが20個を超えたプロジェクトははしにも棒にもかからぬ失敗ばかりで、そのコントラストの酷さは世界中探しても見つからないほどだ。

その他の幹部も村井秀夫の指示で動くことを内心、嫌がっており、麻原彰晃の指示が無ければ自分で思考することも決断することも出来ないということを証言していた。

 

村井秀夫はなぜ殺された?

出典:Naverより

そんな村井秀夫は1995年4月23日の20時35分頃、オウム真理教・東京総本部ビル前で自称・右翼の男に刺殺される。

 

当時、200人以上のマスコミ報道陣が詰めかけていた中の衆人環視のなかで発生してしまった暗殺事件であった。

 

犯人の徐裕行(じょひろゆき)が村井秀夫に与えたダメージはすさまじく、犯人が加えた攻撃により、右脇腹の刺し傷は13㎝にも及ぶほどの深いものであった。

 

あまりにも突然のことに、現場は大パニックになったが、犯人は至って冷静に警察に大人しく従いそのまま逮捕された。

 

どこか予定調和にも思えた、この一連の村井秀夫の暗殺には多くの謎が取りだたされて疑問視されてきた。

 

犯人の徐は犯行動機を警察の取り調べで述べているものの、漠然としすぎているために誰もがそれを聞いて納得がいかなかったのだ。

 

更に村井秀夫は命が潰える直前に『ユダにやられた』『私は潔白だ』と言い残していることも、疑念を抱かせる原因の一端となった。

 

村井秀夫は何故、殺されたか?については、様々な仮説が現在も尚、語り継がれているので、一部を取り上げてみよう。

 

仮説① 暴力団との関係において

オウムの一連の事件が起きていた当時、山口組計暴力団の後藤組は、オウム側と土地取引をしていたことが明らかになっている。

 

暴力団とオウム事件との関連性が一部の報道機関などから指摘されていた。

 

一説によると、オウム側が密かに覚せい剤を密造し、それを暴力団に販売しており、その口封じという噂もある。

 

仮説② 陰謀論

1995年・阪神大震災が起きた当時、オウム真理教の幹部・上祐史浩と供にテレビの報道番組などに登場していた村井秀夫。

 

その際、故・筑紫哲也がある問いをする。

筑紫『阪神大震災が地震兵器で起きたとすれば、それを使ったのは誰なんですか?

村井『やはり、あの・・・大国だと思います。

筑紫『米軍ということ・・・?

村井『いや、米軍と特定するには、あの条件は足りませんが、あの~かなりの力を持っている団体だと思います。

非常に馬鹿げている様にも思えるが、実際に人工地震というのは、既に第二次世界大戦中には、それが存在する証拠があったりする。

 

一部の陰謀論者は村井秀夫は、この当時から人工地震のことなどを漏らしていたために、これが元で消されたと言ってはばからない。

・隣にいる上祐の表情から読み取れることは多い。 村井が馬鹿正直に何もかも口に出すから気が気ではなかったんだろう。

・コイツの話を鼻で笑ってる奴が大勢いたよね。 でも村井は真実しか言ってないから 時代がついていけてなかったな。

・インターネットが当時からあったら違ったかも

・この人が言ってることは間違ってるかい?間違ってるのは僕らなんじゃないのかな。マスコミによって洗脳され、オウムを批判する。

・マスコミをみて馬鹿笑いをしてる人よりこのオウムの人のほうがよっぽどまともだ。 3.11がおこり阪神淡路大震災が起こり、イルミナティについて暴露されている。 この番組の誘導方向としては基地外でおかしなオウム真理教が人工地震なんて変なこと言ってるぞという誘導だ。

村井秀夫と筑紫哲也のこのやり取りは、某動画サイトに現在でもアップロードされている。

 

それを見たユーザーの反応の中には、村井秀夫が人工地震について言及したから、犯人に殺害されたと感じている様だ。

 

仮説③ オウム真理教の粛清

村井秀夫がなぜ殺されたの理由に、オウム内部の粛清という仮説も非常に真実に近いと言われていた。

 

何故ならば、村井秀夫はマスコミに登場した際は、様々な失言をしている。

 

自分が動かせる予算などをコメンテーターで招かれた際、事も無げに語っていたりする。
(ちなみに筆者は当時、これを聞いて、村井は危ないと直感して、もしかしたら消されるのでは?と密かに感じたこともあった。)

前述した人工地震の際も、本来ならば言わなくてもいいことを、馬鹿正直に言う辺り、マッドサイエンティストであったにせよお人好しなところがある。

 

それは警察に捕まった際に、No.2という立場から、真っ先に口を割られては困るという麻原彰晃の思惑からくる口封じだったのではないか?と、いう仮説。

 

様々な仮説や憶測が現在に至るまでも囁かれているが、村井秀夫がなぜ殺されたのかの理由は、出所した犯人の口から既に明かされている。

 

それは意外な答えであった。

 

村井秀夫を先に死刑にした犯人

村井秀夫は生きていれば間違いなく他の幹部と同じ様に死刑は免れなかった。

 

しかし、犯人に逮捕される以前に命を奪われていることから、起訴はされなかった。

 

だが、事実上、犯人に死刑にされたという言い方であってもおかしくはないはずだ。

出典:YouTubeより

そんな村井秀夫を襲った犯人・徐裕行は1965年5月25日に群馬県で生まれた在日韓国人。

 

3歳の頃に朝鮮籍から韓国籍へ変更し、朝鮮学校から日本の公立小学校へ転校。

 

その後、進学するも高校を中退してからは、解体業やイン作会社、デザイン事務所などの職を転々とし、広告代理店を就職する。

 

その後、系列会社の代表取締役社長に就任し、当時、ブームとなった人面魚のリースをしたことでマスコミに注目を浴びて、テレビや雑誌のインタビューをうけたこともあった。

 

1991年に日本での業績などが認められて、特別永住権を取得するも、翌年には会社が経営難となり倒産してしまう。

 

2,300万の負債をかかえて各地を転々とし、1994年6月頃、山口組系暴力団羽根組の部屋住みとなり、暴力団の構成員となる。

 

1995年4月23日、村井秀夫を襲撃し、そのまま現行犯逮捕される。

 

結局、裁判では懲役12年の判決が下り、旭川刑務所に服役。

 

2007年1月に刑期を満了して、出所し社会復帰をしている。

 

村井秀夫を死刑にした犯人の本当の理由とは?

犯人の徐裕行は村井秀夫を襲撃し、逮捕された際は三重県の右翼団体『神州市衛館』の構成員を名乗ったが、この団体は政治活動を行っていない看板だけの組織。

 

犯行動機は、一連のオウムの報道を見て、悪い人間たちだから誰でもいいから何とかしなければと感じたという。

 

しかし、その後の取り調べで所属していた暴力団・羽根組の若頭の指示であると供述し、その若頭も逮捕される。(後に無罪)

 

様々な疑惑が犯人の徐裕行に集まったが、2018年、あるWebメディアのインタビューに徐裕行が村井秀夫を襲った本当の理由として赤裸々に告白している。

 

犯人の徐裕行は、あくまで義憤に駆られて村井秀夫を襲ったと言って、はばからない。

この事件はもう判決が出て終わっている。今もお話しできないこともある。
だが、なぜ、僕が事件を起こしたか。それは、最終的には『個人の憤り』です。
あの当時、社会全体がオウムに対し、憤りがあったし、僕も『とんでもない連中だ』と強い義憤を感じていた。
いろんな要因はあったにせよ、殺害しようと決断したのは僕です。
一番の動機をあえていえば、地下鉄サリン事件の映像を見た衝撃で義憤にかられたことです。
引用:AERAより

松本サリン事件などで多くの人間が死傷した惨状を見て、オウムそのものに強い憤りを感じたからということだ。

 

更に徐裕行は事件当時、会社の倒産で抱えた負債があった故に、お金で雇われたという疑念も一蹴している。

 

既に村井秀夫を襲った1995年には負債の殆どは無かったという。

 

オウム真理教は既に存在しておらず、犯人の徐裕行が所属していた組も既に消滅している。

 

そして、村井秀夫の命を奪った罪を償う為に服役して社会復帰し、大手を振って名前も顔も出して生活している徐裕行が2018年現在、嘘をつく理由は全くない。

 

と、いうことはやはり、これが真実であると思っていいと感じる。

 

村井秀夫を死刑にした犯人の現在

出典:Amebaより

犯人の徐裕行は2007年1月に出所し、フィリピン人女性と結婚。

 

埼玉県に住んでおり、北朝鮮拉致被害者に関する市民活動も展開しているという。

 

ちなみにヨットクルーザーなども所有しており、経済的にはかなり裕福な状態であることが明らかになっている。

 

それに加えてブログやツイッターなども開設しており、現在は更新が滞っているものの、その名前と顔を隠すことも無く、堂々と現実社会、インターネット上で生きている。

 

おわりに

村井秀夫はなぜ殺されたか?を重点的に、犯人が現在、語る本当の理由や、それまで語られていた仮設などを取り上げてみた。

 

既にオウム真理教は消滅し、2018年7月には象徴でもあった麻原彰晃が死刑となり、完全にオウム事件は終結したと思っていいだろう。

 

だが、我々の記憶には永遠にそれは忘れることが出来ない大きな事件であり、多くの謎は未だに解決されないままである。

 

しかし、その中の大きな謎は、既に様々な憶測の中に一つの真実があったということを垣間見させてくれるのに充分であったと言える。

 

無論、村井秀夫が他にどんな悪事に加担していたのかなどの具体的なことは、永久に謎のままであるのは否定しようのない事実ではあるのだが・・・。

 

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