森本喜久男という人物をご存じだろうか?
現在、カンボジアに渡り、クメールの伝統工芸である織物を絶やさない運動を続けている御仁だ。
そんな森本喜久男は過去にがんの余命宣告をされており、家族とも生き別れている波乱万丈の人生を歩んでいる。
テレビ出演に先がけて、この素晴らしい日本人について触れてみよう。
森本喜久男について
【名前】 森本喜久男(もりもときくお)
【生年】 1948年
【年齢】 69歳
【出身地】 京都府
【学歴】 レイデザイン研究所テキストデザイン科卒業
【所属】 クメール伝統織物研究所
【活動】 1971年
森本喜久男は中学生の頃にイジメを受けていたという。
周囲の人間が誰も助けてくれなかった悔しい思いを、絵にぶつけるかのように、油絵画家を目指していたのだという。
20歳の頃に結婚をしたものの、自律神経失調症を患い、自身の活動の場を別の方に向けた。
23歳の頃に、日本の伝統工芸の一つ・手描き友禅に魅せられて、地元の友禅工房に弟子入り。
1975年・27歳の頃に【森本染芸】という工房を設立し独立した。
1980年にタイを訪れた際に、バンコクの博物館でカンボジアの絣(かすり)を見たことが切欠で、1984年にタイに渡る。
その後は日本に帰らずにタイ・バンコクで店を立ち上げ、それと供にキング・モンクット工科大の講師を務める。
1996年にはカンボジア・タクマオ市に【クメール伝統織物研究所】(IKTT 【Institute for Khmer Traditional Textiles】)を設立した。
森本喜久男の家族は?
森本喜久男は20歳の時に一般女性と結婚し、24歳の頃に娘に恵まれた。
しかし、その職人気質が災いしてか、夫婦間のすれ違いが生じた様で、30歳で離婚。
離婚後の1978年に運営していた工房も閉じて、その後、日本を離れタイに向かった。
かつては結婚後に自律神経失調症を患った際、妻に支えられて苦楽を乗り切ったはずの森本喜久男。
しかし、10年後の離婚というのは、そんな辛い若い頃よりも耐えがたき何かが夫婦間に起きたのだろうか。
およそ、はかり知ることはは出来ない。
森本喜久男は余命を宣告されたがテレビに・・・
森本喜久男は、かねてより日本のメディアに注目されていた。
異国の地・カンボジアで、壊滅寸前であったクメール織を復活させた人間だからだ。
2011年にそんなカンボジアの織物復興の立役者・森本喜久男が膀胱がんを患った。
医者からは余命5年と宣告をされたものの、森本喜久男は一笑にふしたのだという。
カンボジアでは人の死というものは、自然なことであることを知っており、その命が潰える番になったら抵抗せずに受け容れる。
そんな気持ちをカンボジアで活動する際に、つくづく魂で感じたのだそうだ。
そんな余命宣告では、2016年に森本喜久男はがんに倒れる筈であったが、現在、2017年ではテレビに登場するという。
おわりに
森本喜久男は家族と離れて、一人、カンボジアに渡り、戦争の影響で滅ぶ寸前であったクメール織を復興させた。
現地の人間に、自らのそれまで培ったスキルとノウハウを全て仕込んで職人を育成。
それをクメール織の製造に活かすことにより、伝統工芸を絶やさないことに尽力している。
がんの余命宣告を乗り越えているのも、こうした前向きな姿勢がそうさせているようだ。
しかし、例え命が潰えたとしても、日本人がカンボジアの伝統を一つ守ったということで、間違いなく伝説に刻まれることとなるだろう。
テレビ番組【情熱大陸】に初登場する森本喜久男の知らざれる過去も、非常に期待できるものになるだろう。