現代人の様々な欲望を様々な事象に絡めて紹介している【Desire Region】であるが、今回は最も多くの人間が求める『カネ(金)』について。
おそらく99%の人間が現代を生きる上で最も表面に出している欲望の種類が『金欲』であることは認めざる得ないだろう。
だが、しかし、それは本当に『金欲』だけのことなのだろうか?
金欲とは枝葉のことでしかない
そもそも『金』というものは何なのだろうか?
答えは至極、簡単である。
『カネとは9割型の問題を解決できる魔法の道具である。』
これが答えであり、これ以上もこれ以下もない。
現代でいうお金というものは、社会の血液ともいえるものであり、誰もが皆、金を求めて労働というものに多くの時間を使っている。
その過程において、多くの問題が持ち上がり、その問題の多くが結局のところ『カネ』で解決できるものが殆どなのだ。
ならば、何故、それだけお金が価値あるものと認識されているのか?
お金があれば手に入らないものはないのか?
お金があればありとあらゆる物・奉仕(サービス)が享受できる。
場合によっては一個人の人生すら買えることもあるくらいに、お金というものは強力なのだ。
お金を見せつけられて、自分自身の魂を売る人間が何と多いことか・・・。
それは世の中に報道されるニュースなどを見ても、枚挙に暇がないくらいに溢れかえっている情報だ。
保険金目当てに自分の家族を手にかける者。
その日の生活費の為に、商店で狼藉を働く者。
お金という色紙の為に、好きでもない人間と深い関係になる者。
嫌なこともお金の為に続けて、精神を病んでいく者。
と、数を挙げればキリがないが、実際にはお金というものを過剰に妄信していると筆者は考えている。
当然、お金はないよりはあったほうがいい。
と、いうよりはお金はある方が当たり前であり、無い方が普通ではないとさえ感じている。
しかし、断じて人間の価値には敵わないし、お金よりも大事なものや価値が高いものばかりに溢れかえっているのにお気づきだろうか?
お金では買えないものもある・・・しかし・・・
お金というものは人間が人間の為だけに使うことを許されて定義されている証明書のようなものだ。
つまり人間の価値観の中で、お金が不必要と認識して、信用のおけるものではなくなったら、単なる色紙である。
矛盾した例であるが、1万円紙幣の価値なんてものは約14円程度の価値しかないのだ。
だが、1万円で買えるものというのは多く、誰もが欲しがる物質でもある。
それは1万円という紙幣(色紙)が、日本という国の信用の元に成り立って、物々交換の道具として認識されているからに過ぎない。
これが経済破綻目前の国の紙幣ならば、皆が皆、ゴミ同然のちり紙程度にしか思わずに、いずれその国の経済は破綻する。
要するにお金とは実はそれだけの価値しかないのだ。
最も価値ある存在というのはお金ではなく、それを使う人間そのものであることを忘れてはならない。
そしてお金では買えないものの代表的なモノの中には、我々が当たり前の様に持っている『時間』というものがある。
何故、お金よりも時間の方が大事なのかと言えば、1万円はなくしても、再び作れるものだ。
現に社会人は仕事をして1万円を手に入れることは、比較的簡単である。
しかし、1時間という時間は過ぎ去ってしまえば、もう二度と元には戻らない。
いくら100万円を出すからといっても、誰も時間を元に戻せない以上は、何をどういってもお金では買えない代物と言える。
加えて現代でお金で買えないもの代表的なモノと言えば、若返ることである。
表面などは化粧や肉体トレーニングなどで若く保つことは出来るものの、前述したように時間の動きはだれも止められない。
それに比例して地球の重力に影響されている為に、常に無意識的に負荷がかかっている状態。
それが老化を生み出して、身体の代謝を時間とともに下げていくことによって、体力も容姿も劣化していくのだ。
都市伝説で誰でも名前は一度は聞いた事がある者は、莫大な財を築いたが、自分の命はあとわずかだと言うことを悟っていた。
その為に生前は自分の使用人たちに頼み、自分の肉体を冷凍保存してもらったという。
何十年・何百年後に科学が進歩し、不老不死が現実のものとなった暁には、自分を蘇らせろという遺言書を書いて旅立たれたというから驚きだ。
要するにこのようにお金というものでは買えないものは確実にあるわけである。
だが、お金が価値あるものと認識されているのは、こうしたお金で買えないものの周りを補う物や奉仕(サービス)をお金によって買うことが出来るから価値があるものであるのだ。
金欲という言葉の裏側には様々な欲望が・・・
『金欲』という言葉は造語であって、実際には定義されていない言葉のようだ。
日本では特に金欲を前面に押し出すと嫌われる傾向があったりするが、それに目をつむって矛盾を背負いながら、社会人としての自分の生活を維持するために時間を失っている。
しかし、現代はお金がないと、人間の多くの欲望を満たす行為は出来ないシステムになっている。
だからこそ『金欲』という言葉が生まれたのだ。
実はその背景にあるのは『性欲』『物欲』『睡眠欲』だったり、『自我欲』だったりするのだ。
性欲を満たしたいのならば、お金があればすぐに他の人間を一時的に買って、それを満たす行為を要求することができる。
物欲は現代人にはあって当たり前の欲望の形であり、睡眠欲を満たすためには、それだけの時間が必要である。
人間の欲望の総称といってもいい自我欲も、現代ではお金があればあるほど満たしやすいのは否定できない。
お金そのものが大好きであるという人種もいるが、意外にそれだけの人間というのは、例え大富豪であっても生活は至って質素だったりするのだ。
このように多くの人間はお金の為に、努力して命=時間を削って生きているわけだが、お金ではなく、その向こうにある人・物・時間・情報などが欲しいためだ。
それらと交換出来て、話の早い便利な道具だからこそ、お金が最重要と思われているのだ。
おわりに
今回は『金欲』というものと供に、お金とは何なのだろうか?という考察と一つの答えを解説してみた。
最後に筆者から付け加えるとすれば、お金を求めるという欲望が行き過ぎると、大抵、人間は不幸になることが多い。
お金が悪いのではなく、お金を使う人間の心がお金を得ただけ、歪な状態で膨れ上がるからだ。
実際に幸せに生きたいのであれば、お金は来月の支払いが余裕に出せるくらいで丁度いい。
今日、普通にご飯を食べていけるのならば、それでいい。
そういうおおらかな心を持ち、自分の生活もそれに付随して営めれば、お金というものの真の姿が垣間見えてくるのだ。
お金そのものには価値はない。 地球上で本当に価値あるものは、人間と時間であると強くいいたい。