BOOM BOOM satellitesの川島道行の死去報道が流れた。
死因は脳腫瘍と報じられているが、その闘病生活は非常に過酷なものだったろう。
ご存知のない方の為に川島道行の死去についてや、経歴、脳腫瘍に関してまとめてみよう。
BOOM BOOM satellitesの川島道行の死去
川島道行が死去したことは所属事務所のAvex Managementから報道機関にもたらされたものだった。
47歳という早すぎる逝去に対して、根強いファンは悲しみに打ちひしがれているだろう。
2016年6月22日にアルバム【Lay your hands on me】をリリースした直後、BOOM BOOM satellitesは事実上の活動を終了している。
やはり川島道行なしにはバンドの活動はありえないと感じるのは当たり前である。
川島道行と聞いて、誰もが知っているとは言い難いだろうが、BOOM BOOM satellitesの活躍は海外で高い評価を受けていたのだ。
BOOM BOOM satellites・川島道行の経歴
川島道行と中野雅之が大学生の時に立ち上げたバンドがBOOM BOOM satellites。
元々は同じアルバイト先のJAZZバーでケンカしたのが切欠だったそうだ。
ケンカした後に意気投合した川島道行と中野雅之は供に活動し、1995年にプロデビューを果たした。
バンドではあるが、基本的には川島道行と中野雅之のロックユニットといったほうが、しっくりくる。
BOOM BOOM satellitesといえば、川島、中野の二人を軸にサポートメンバーを加入させて、ロックを提供していたというスタイルだ。
川島と中野の野心は日本にとどまらずに、1997年に欧州に殴り込みにいき、見事にアカデミー賞を獲る等の快挙をあげる。
海外での活動がメインだったから、あまり日本に馴染みが無かったわけだ。
川島道行の死因は脳腫瘍
そんなBOOM BOOM satellitesの川島道行だが、彼は大きな爆弾を抱えていた。
それが脳腫瘍である。
2015年7月下旬に川島道行に脳腫瘍があることが、病院での診断で分かったのだが、何とこの時で5度目なのだそうだ。
一番、最初は1997年であり、川島はこの時に脳腫瘍の手術をしており、2015年までに3度も手術をしていた。
5度目の脳腫瘍のダメージは深刻なもので、ついにはライブが出来ない状態となり、アルバムリリースや身体の負担が少ない活動内容でしかファンに楽曲の提供が出来ない状態になった。
前述した2016年6月22日のアルバム【Lay your hands on me】の制作を終えた5月末に、BOOM BOOM satellitesの活動中止を正式にファンに公表していた。
川島道行の死去の中、中野雅之は
川島と長年、BOOM BOOM satellitesのメンバーとして活動してきた中野雅之のオフィシャルコメントは以下の通り。
「ようやく不自由な身体からから解放されて、今頃は世界中を飛び回っているのではないかと想像しています。悲劇ではなく、人生のゴールとハッピーエンドを手に入れた瞬間でした」
非常に残念だが、BOOM BOOM satellitesの楽曲は川島道行のたくましくも繊細な歌声と供に、世界に残り続けていく。
音楽は廃れることがない、素晴らしいもの。
川島道行のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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