銀座の女王と呼ばれ、マダムAと言われた女性がが山崎美智代というホステスだ。
銀座No.1の称号をおしいままにし、羨望のまなざしを浴びていた山崎美智代は事件に巻き込まれてしまう。
その事件の犯人として、若手歌手に疑惑が向けられた。
マダムA事件・山崎美智代の事件の全貌を紐解いてみよう。
銀座の女王・No.1ホステスの山崎美智代とは?
山崎美智代は北海道江別市で出生。
資産家の両親の元で生まれた山崎美智代は非常に裕福な環境で育った。
この生活環境が自然に優雅さと気品を醸し出す女性を形作ったのだろう。
それは後に銀座のホステスとして活躍する時には、大きな武器となっていたのは想像に難くない。
上京したのは1960年。
六本木をねぐらにし、銀座のクラブで下積みのホステスとして働き始めるが、頭角を現すのは、さほど時間はかからなかった。
山崎美智代は美しかっただけではなく、前述したように高級クラブで働くホステスに無くてはならない気品があったのだ。
大口の指名客を次々と取り入れて、銀座No.1に登り、銀座の女王と呼ばれるようになったわけだ。
銀座No.1ホステス・山崎美智代の事件
山崎美智代は銀座の女王として君臨しており、クラブ経営もしていた実業家でもあった。
ここで一人の人物が浮上する。
それは山崎美智代のクラブ経営に融資をしていた一人、伊藤和義という男だ。
伊藤和義は在日朝鮮人であり、本名は韓和義という名前であり、山崎美智代には100万円の融資をしていたそうだ。
山崎美智代は伊藤和義(韓和義)に更に250万円の融資を要求したが、彼は拒否。
これに憤慨した山崎美智代は言ってはいけないことを在日朝鮮人の伊藤和義(韓和義)にいってしまう。
朝鮮人のクセに!
当時、現在よりも在日朝鮮人は日本人に差別をされていた風潮があったとされる。
伊藤和義(韓和義)は今風に言うとキレてしまい、山崎美智代をその場で瓶で殴ってしまい、命を奪ってしまった。
銀座の女王・山崎美智代の事件の犯人
伊藤和義(韓和義)は福島県で育った男であり、父親が韓国人、母親が日本人。
福島県の高校を卒業した同時に一山当てようと上京し、食品の問屋などで働き食い繋いでいた。
が、次第に自分は芸能関係者であると偽り出し、銀座や赤坂の一流クラブに出入りする様になっていた。
この時の伊藤和義(韓和義)は無職であったが、芸能人のマネージャーを生業としていると嘘をつき、周囲に人脈を作っていったという。
犯人に仕立て上げられそうになった若手歌手
山崎美智代の命を奪った伊藤和義(韓和義)は彼女の亡骸をもみ消し、事件を隠蔽しようと画策した。
そこで当時、スナックに住み込みで働きながら、プロ歌手を目指していた19歳の若手歌手に山崎美智代の処分を手伝わせる。
伊藤和義(韓和義)は若手歌手を事件の片棒を担がせて、あわよくば若手歌手に罪をなすりつけようとしていた気配があったようだ。
が、若手歌手は伊藤和義(韓和義)の要望の不自然さに気づいて、警察に通報した。
その結果、伊藤和義(韓和義)は逮捕され、事件は発覚したという流れである。
しかし、山崎美智代の事件に巻き込まれた形となった若手歌手は伊藤和義(韓和義)と供に逮捕されてしまった。
この若手歌手の現在であるが、おそらくは既に芸能界や水商売の世界から、この事件をきっかけに足を洗っているだろう。
伊藤和義(韓和義)と関わっていなければ、もしかしたら、現在、活躍している大物歌手の1人になっていたのかと思うと、非常にやるせないところだ。
山崎美智代の事件の犯人の嘘
余談だが、警察の調べで判明したのは、伊藤和義(韓和義)の嘘である。
更なる融資の依頼をしてきた山崎美智代が伊藤和義(韓和義)を差別的に罵倒した為に、事件を起こしてしまったという前述した内容は真実ではないということ。
前述した明らかになっている事件の概要は、犯人の伊藤和義(韓和義)にも、同情の余地があるかの様な内容でもあり、山崎美智代が事件の切欠を作ったかの様なものだ。
実際のところは、山崎美智代は伊藤和義(韓和義)に借金手形・302万円を渡していた。
しかし、伊藤和義(韓和義)は手形を紛失したとうそぶき、山崎美智代に再び手形を要求していたということが判明。
つまり、伊藤和義(韓和義)は二重取りしようとしていたということであり、それを拒否された為に山崎美智代を手にかけたということだ。
強欲にまみれた伊藤和義(韓和義)が事件の根本を作っていたわけで、銀在の女王は100%事件の被害者であったということだ。
まとめ
現在から40年ほど前にあった陰惨な金にまみれた事件の概要だが、やはり華やかな銀座という土地には、こうした闇の部分もあることが伺える。
ちなみに伊藤和義(韓和義)は銀在の女王・山崎美智代の事件の犯人として逮捕された後の裁判の判決は無期懲役。
今でも収監先で罪をつぐない続けているのだろうか・・・?
が、無期懲役であっても、模範囚であれば15年程度で出所出来ることもある。
今となっては伊藤和義(韓和義)がどうなっているのかは、現在のところは詳しい情報はない。