松山善三さんは昭和の映画界を支えた映画監督・脚本家の一人です。
往年の大女優・高峰秀子さんの旦那であり、各方面に多大な影響を与えた文化人ですが、8月27日の夜にお亡くなりになっていたことが発表されました。
松山善三さんの経歴や創価学会との繋がりなどを調べてみました。
松山善三の経歴
松山善三さんは1925年4月3日に兵庫県神戸市で生まれました。
両親の都合ですぐに横浜市に移り住んだのちに、岩手医学専門学校に入学。
現在では岩手医科大学になるのですが、中退して雑誌社でアルバイトをするようになります。
そこで映画の世界で活躍している脚本家と知り合い、映画に興味を持ち、その縁で松竹がオーディションしていた助監督公募に合格。
映画の世界に踏み込んだ松山さんは、下積みを6年間経験した後の1954年に脚本家としてデビューします。
翌年の1955年、以前に書いていたシナリオが映画化され、評価が高まり、女優の高峰秀子さんと結婚することに。
その後、ヒューマニズムを主体とした作品を作り続け、初監督映画【名も無く貧しく美しく】を手掛けて、毎日映画コンクールとブルーリボン賞を受賞。
初監督作品でいきなり二つの賞をとるってすごいですね。
その後、不朽の名作として知られる映画【人間の証明】などの大作の脚本を書いて、名実ともにその地位を確立させたのでした。
松山善三と創価学会との関係は?
松山善三さんを調べていく上で欠かせないのが創価学会との関係性です。
決して松山さんが入信していたというわけではなく、日本から遠く離れたアフリカという土地で創価学会が実践する仏法がなぜ、広がったのかに疑問をもったそうです。
その疑問を払拭する為に、松山さんはアフリカへ飛び、現地のアフリカ人に取材を敢行し、創価学会の学会員にも取材をした経緯があるのだそうです。
色々と黒い噂が絶えない創価学会ですが、松山さんはご自身の著書でも書いてある通り、決して創価学会を否定せずに、信仰の偉大さは人が生きる証明になると説いていたようです。
松山善三と高峰秀子の子供は養女?!
松山善三さんと高峰秀子さんとの間には子供は授からなかったようです。
ですが、かねてより親交の深かった週刊文春のベテラン記者であり、エッセイストの斎藤明美さんが2009年に養女として、松山さんの子供となったのだそうです。
斎藤さんは女優・高峰秀子さんの大ファンだったようで、高峰秀子さんに関係する著書を十冊以上も出版しているのです。
斎藤明美さんは結婚をせずに、一生、独身をつらぬく人生を決めていたようですが、子供のいなかった松山さんと高峰さんの子供になることで、暖かい家族愛を築けると感じたのでしょうね。
なにか、すごく深い関係ですね。
人間の人生って、本当に決まっておらず、決めた生き方なんかは、ナンセンスと言ってもいいくらいにちっぽけなものに思えます。
高峰秀子さんは2010年に既に他界しており、今度は松山善三さんが逝ってしまわれたことで、斎藤さんの悲しみはかなりのものでしょう。
松山善三の死因は老衰
91歳という高齢であるために老衰でお亡くなりになられたそうです。
病気とか事故とかではなく、老衰という死因は、天寿を全うしたといってもいい自然なものです。
正に大往生といわんばかりの輝かしい一生であったことでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。