仁科亜季子に岩井友見が土下座を迫った過去とは?

松方弘樹の前の嫁である仁科亜希子と姉の岩井友見の関係が、過去に取りだただれていた。

 

姉妹同士のいざこざであっても、土下座をさせようとか、お金を要求するなどというのは、ただ事ではない。

 

そんな過去に噂になった問題を紐解いてみよう。

 

仁科亜希子について

【名前】 仁科亜希子(にしなあきこ)

【本名】 仁科章子(読みは同じ)

【別名】 仁科明子(旧芸名)

【生年月日】 1963年4月3日

【年齢】 63歳

【出身地】 東京都

【血液型】 AB型

【学歴】 学習院女子高等科

【デビュー】 1972年

【所属】 ジェイ・ツー

 

大和屋・10代目岩井半四郎を父に持つ仁科亜希子は、歌舞伎の家柄の次女として育てられた。

 

1972年にNHKテレビドラマ【白鳥の歌なんか聞こえない】に出演し、芸能界デビュー。

 

清楚なお嬢様というイメージで、一躍、人気者になるも、1977年に松方弘樹との不倫スキャンダルが暴露されて、一時、芸能界から離脱する。

 

後の1979年に松方弘樹と結婚し、仁科克基と仁科仁美を出産した。

 

1998年12月には松方弘樹と山本万里子の不倫が発覚したことで、離婚した。

 

子供2人を引き取り、翌年には芸能活動を復帰させる。

 

そこで芸名を現在の仁科亜希子に変えて、女優業の傍ら、以前に子宮頸がんを患った体験から、子宮頸がんに関する助成金を推進する委員会の発起人として活動したり、デザイナーとしても活躍。

 

岩井友見について

【名前】 岩井友見(いわいゆみ)

【生年月日】 1951年5月3日

【年齢】 65歳

【出身地】 東京都

【血液型】 AB型

【学歴】 学習院大学

 

前述した仁科亜希子の姉であり、大学卒業後に岩井流家元を襲名した。

 

初舞台はなんと3歳のころであり、幼少から時代劇を主にしたドラマや舞台に出演。

 

日本舞踊を海外に広める活動もしており、国際文化交流の橋渡し役としての要人という立場にもある。

 

岩井友見も妹の仁科亜希子と同じくらいの不幸な事態に遭遇している。

 

1973年、岩井友見が21歳の時にドラマのロケ中に、落馬事故に遭う。

 

その事故により、左目にダメージを負い、網膜剥離を引きおこし、2か月の治療もむなしく失明。

 

右目の視神経も事故により損傷し、失明こそは免れたものの、言わば目は殆ど見えていない状態であるという。

 

しかし、その逆境をもろともせずに家元として、芸事に勤しみ、2012年4月に日本舞踊正派岩井流宗家を継承した。

 

仁科亜希子と岩井友見の土下座騒動とは?

歌舞伎役者と日本舞踊の家元・10代目の岩井半四郎の元で生まれた二人。

 

幼いころから二人の間には小さい亀裂が生じていたそうである。

 

芸事を頑張る岩井友見だが、褒められるのは妹の仁科亜希子ばかりで、姉としては不快に感じていたという。

 

その後、仁科亜希子は不倫した後に、松方弘樹の嫁にいったが、実際には破門という形であったらしい。

 

2011年に父の岩井半四郎の死後、弟子の数が激減する事態に陥ったという。

 

それと供に岩井友見が、家元の運営資金を使い込んでいるとのゴシップが当時、報道で流れる始末に、大いに苦しい状況に追いやられる。

 

しかも、岩井友見には跡取りとなる子供がいないという問題もあった。

 

そこに仁科亜希子が息子の仁科克基を跡取りにしようという画策をしたのだという。

 

それに激高した岩井友見が仁科亜希子に突きつけたのが、土下座による謝罪と100万円の入門金の要求であったという。

 

おわりに

仁科亜希子と岩井友見の土下座騒動は、芸能レポーターの井上公造が、かつてテレビ番組で暴露した内容だ。

 

これが果たして真実かどうかは、結局のところ、本人たちにしか分からないことだが真実ならば、家柄が良いとこういった骨肉の争いが生じやすいものなのだろうか・・・。

 

何とも嘆かわしい話である。

 

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