大黒摩季の若い頃は色々な逸話がある。
なかでも一番、驚きだったのは、お嬢様育ちであったということだろう。
大黒摩季の若い頃や父親と弟などの家族についてみていこう。
大黒摩季の若い頃
大黒摩季は1969年12月31日に北海道札幌市南区で生まれた。
3歳からピアノをはじめ、大黒摩季にとってはピアノがオモチャだったそうだ。
そんな大黒摩季の実家は何を隠そう創業90年近い食品製造会社の老舗なのだ。
そんな実家で育った大黒摩季はお嬢様育ちであったのは容易に想像がつく。
大黒摩季の実家の会社
大黒摩季の実家の会社は【札幌キムラヤ】であり、1927年に製パン会社として、日本の老舗中の老舗である【木村屋總本店】から、のれん分けして出来た会社だという。
現在は従業員を200名抱えており、主に学校給食に出されるパンの卸や、キヨスクやコストコなどの小売用のパンの製造を手掛けている。
流通は北海道全域に及んでおり、一時期は年商10億円の商いをしていたことでも知られていた。
が、2002年に民事再生法の手続きを申請するという事態に見舞われた。
負債額は9億円であり、【木村屋總本店】が支援することで、倒産は免れて経営は存続している様だ。
9億円の負債をおった理由として、身体の不自由な人間を雇用し、工場内をバリアフリー化しようとしたことで、その設備投資が一番の理由なのだとか。
このことは大黒摩季が既にアーティストとして上京した後のことであるが。
大黒摩季はこの会社を経営する父の元で生まれ育ったお嬢様であると言えるのだ。
次に父親と弟について見てみよう。
大黒摩季の父親と弟
大黒摩季の父親は大黒正芳であり、前述した【札幌キムラヤ】の創業者である。
父親の大黒正芳は同会社の取締役会長だったそうだが、2000年3月に死去。
跡を継いだのが大黒摩季の弟の大黒礼騎であり、現在は取締役社長として、経営を存続させているのだという。
大黒摩季の弟であり、札幌キムラヤの社長の大黒礼騎はFacebookユーザーでもあるようだ。
自社商品の開発の為の努力が垣間見える投稿や、プライベートのちょっとしたことを更新している様だ。
まとめ
大黒摩季は若い頃はお嬢様育ちであったからこそ、今の成功があるといっても差し支えないだろう。
しかし、そんな若い頃に育った実家の会社も、時代の波に飲まれて、悪戦苦闘をしていた時期もあったようだ。
父が亡き後、受け継いだ弟は姉の大黒摩季の活躍や苦難をみて、自分自身を奮い立たせている時もあるのだろう。
どこか人間味が溢れる一面が大黒摩季を追っていくと、見え隠れしてくるのだが。
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