日本の犯罪史には現在に至るまで、解決とされていても釈然としない謎が残っている事件は多い。
国松長官狙撃事件もその例に漏れずに、その真犯人は誰であったのか?と、いう疑問は未だに語られる。
そして、その裏には公安が絡んでいたとする説もあるようだ。
今回はこの事件の暗部に重点を置いて見ていこう。
国松長官狙撃事件について
1995年3月30日の午前8時30分過ぎに、東京・荒川区南千住の高級マンション『アクロシティ』で事件は起きた。
当時の警察庁長官である國松孝次が4発の銃弾で狙撃されて、重傷に陥った。
国松長官は出勤時、自宅マンションから出たところを、待ち伏せしていた男に突然、発砲を受けたのだった。
警視庁の長官が狙撃されるという前代未聞の事件に、警察は何としても威信をかけて捜査に望んでいた筈であったが、この事件の捜査は難航。
事件現場には犯人のものと思われる遺留品が18点残されており、目撃者も16名いた状態でだ。
当時はオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の捜査に日本中の警察が動いており、捜査員の絶対数が不足していたということも、捜査難航の原因であった。
それにより操作は警視庁の公安部が担当することになったのだが・・・。
国松長官狙撃事件の真犯人として逮捕された巡査長
公安は国松長官を狙撃した真犯人はオウム真理教の関係者であると疑わなかった。
と、いうのも事件が発生する2か月前に、オウム真理教の教祖であった麻原彰晃が警視庁に対して犯行を仄めかす発言をしていたからだ。
秘密裏に捜査していた公安が真犯人として挙げたのが、本富士警察署の当時、31歳のK巡査長だった。
K巡査長は実はオウム真理教の信者であり、地下鉄サリン事件の現場担当もしていた人物であった。
またK巡査長が所属していた文京区の本富士署は、VSオウム真理教の捜査の基点であった。
K巡査長は犯行をほどなく自白したものの、自白には矛盾点が多く、国松長官を狙撃した銃も発見できなかったことから、不起訴処分となった。
しかし、事件から7カ月経ったある日、マスコミ各社に怪文書が送られた。
それは公安警察がひた隠しにしていた国松長官を狙撃した犯人は警視庁の警察官でK巡査長の名前がかかれていたものだった。
結局、K巡査長はオウム幹部などに情報を漏洩したとして、懲戒免職されていた。
その後、オウム真理教の幹部であった早川紀代秀や端本悟なども実行犯として容疑がかかっていたが立件は出来なかった。
更には中村泰なる銀行強盗で何度も刑務所に服役していた男が捜査線上に浮上したりもした。
中村泰も国松長官を狙撃したと誇らしげに語り、認めてはいたものの、その供述には不可解な点も多く、目撃証言ともずれていたことから、こちらも立件出来なかった。
結局、事件は公訴時効を迎えて、真犯人が誰であったのかは依然として不明のままだ。
が・・・実はこの事件に深く関わったとある著名人が、真相を暴露しているのだ。
国松長官狙撃事件の真犯人は実は公安が揉み消した??
脳機能学者の苫米地英人は、当時、オウム真理教の信者の洗脳を説くスペシャリストとして活動していた。
事件が時効になってから、苫米地英人はインターネット放送の中で、国松長官狙撃事件の真犯人を述べている。
苫米地英人によると、前述したK巡査長は警察でありながら、スパイとしてオウム真理教の信者として教団に潜っていたという。
ところが潜入したオウム内で洗脳されてしまったK巡査長が国松長官を狙撃してしまったという。
K巡査長の洗脳を解くために呼ばれた苫米地英人であるが、K巡査長が犯行を自白していく際に出てきた証拠などが消されていくという事態に直面していたという。
捜査関係者の内部にはK巡査長がクロであるとして、証拠集めに奔走していたグループと、シロで片づけたいというグループがいたということも指摘している。
事件をうやむやにしたい公安のやり方に、命の危険を感じた苫米地英人とK巡査長は、対話したビデオを手に元東京地検特捜部長の河上和雄に助けを求めて、その後、対話の映像は日本テレビに持ち込まれて公開された。
だが、結局、事件はうやむやにされてしまい、苫米地英人も脱洗脳のスペシャリストでありながら、糾弾されることになったのだった。
結局、真犯人はやはり最初に逮捕された本富士署のK巡査長であるが、実はこの人物は公安の人間であり、オウムへ埋伏させられていた人物だったということである。
そして、洗脳されて国松長官狙撃事件を起こしてしまったというのが真相のようだ。
だが、二重スパイをさせていたという事実を公にされたくない公安組織が、事件をうやむやにしてしまったということの様だ。
あくまでこれは苫米地英人が後に某メディアの場所で語ったことであり、この頃には既に事件は終わったものとして片づけられている。
結局のところ、証拠がない以上は真相究明も出来ないのが現状なのだ。
おわりに
国松長官狙撃事件の真犯人は謎が深まるにつれて、増えていったものの、それらは犯人像には合致しなかったり無理があった。
結局は一番最初に逮捕された人間が、真犯人であったという可能性が極めて高いものの、公安の恐るべき力の前に事件は闇に葬られてしまった様だ。
日本の事件史には、こうした巨大な力の前に真実がねじ伏せられているケースも多々ある。
だが、それに触れることはパンドラの箱を開ける様なものであり、非常に危険であると言わざる得ない。