甲府信金女子職員誘拐殺人事件の犯人・宮川豊の画像と生い立ち

甲府信金女子職員誘拐殺人事件は1993年8月10日に発生した身代金目当ての事件。

 

これは、音の捜査官と異名をとる鈴木松美氏音声解析によって、解決に導かれた事件である。

 

が、ここでは犯人として逮捕された宮川豊に焦点を当てて、お届けしよう。

 

犯人・宮川豊について

甲府信金女性職員誘拐事件の犯人・宮川豊の画像

1955年に生まれた宮川豊は1970年に山梨県立農林高等学校に入学。

 

1973年に同校を卒業後は甲府市内のガソリンスタンドに就職した後、自動車販売会社【山梨いすゞ自動車】に移る。

 

看護師をしている女性と結婚し、2人の子供をもうけており、会社では大型販売第二課係長という要職についていた。

 

宮川豊の実家は代々、続く農家であり、長男である彼は積極的に農作業にも従事しており、地域活動にも貢献している人望の多い男であった。

 

また、近所の子供たちからも『宮川のおっちゃん』と、呼ばれ親しまれており、子供たちとソフトボールなどをして親睦を深めていた面を持つ。

 

宮川豊が甲府信金女子職員誘拐殺人事件を起こした動機

宮川豊の動機はズバリ、金である。

 

宮川豊は当時、約7000万円の借金があったという。

 

借金の内訳は山梨いすゞにおいて、自らの販売実績をあげる為に、架空の販売契約などを繰り返していた。

 

未収金はあっという間に多額なものになり、山梨いすゞにその処理を求められる様になっていた。

 

その為に母親に約900万円、友人たちからも約1000万円以上の借金をしていた。

 

それだけではなく、事件を起こす2年前の1991年頃から、いきつけの韓国バーで知り合った韓国人ホステスを愛人としていた。

 

この韓国人ホステスの為に同じ甲府市内に一軒家を借り、愛人が韓国に帰国すると、宮川豊も韓国におもむき、一緒に豪遊していたのだ。

 

こうした経緯から、多額の借金を背負いこみ、甲府信金の女子職員を誘拐し、身代金をせしめる犯行を企てたのだ。

 

甲府信金女子職員誘拐殺人事件の忌まわしき噂

宮川豊は鈴木松美による声紋分析が、あまりにも自分の特徴に合致していたことに恐れて、自首したことにより逮捕された。

 

が、後に宮川豊には共犯者がいたのではないか?と、いう噂が事件が起きた山梨県内で飛び交った。

 

そして、その犯行グループには、宮川豊に命を奪われた内田友紀の父親が加わっていたというものであった。

 

と、いうのも身代金の受け渡しが行われた日の夜に、内田友紀の実家に不審な電話が入ったことから、捜査本部は誘拐は複数の人間で行われていると見てしまった。

 

こうした報道を見た山梨県内の人々は、宮川豊が逮捕された後も、誘拐はグループによって行われたものであると、いう先入観を持っていた。

 

そして、噂されたのは、内田友紀の父親と宮川豊は知り合いであり、父親は娘に保険金をかけていたなどと言う噂。

 

また、マスコミの前で父親が号泣している様が、いかにもわざとらしく怪しいという心無い中傷が飛び交ったのだ。

 

実際は宮川豊の単独犯行であり、内田友紀の実家に入った不審な電話も、実は内田友紀の友人の母親であったことが分かったが、父親にしてみれば非常にやるせないショッキングな噂であったろう。

 

犯人・宮川豊のその後

1993年8月24日に逮捕された宮川豊の裁判は1年半もの期間行われた。

 

1995年3月9日に甲府地裁は、宮川豊に無期懲役の判決を言い渡した。

 

その時、裁判所では宮川豊に向かって、内田友紀の母親が、泣き叫びながら、『友紀ちゃんを返して!』と、言い放ったという。

 

宮川豊の検察側は甲府地裁の判決に不服を申し立てて、控訴するも、翌年の1996年4月16日に東京高裁において、控訴を棄却されて、宮川豊の無期懲役が確定した。

 

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