善光寺貫主の小松玄澄の驚くべき経歴を徹底解剖!

善光寺貫主・小松玄澄(こまつげんちょう)氏が話題にのぼっています。

 

氏が何をして話題にのぼっているのかは、別記事に詳細を書くとします。

 

ここでは氏が辿って来た経歴を紐解いてみましょう。

 

【善光寺】小松玄澄の経歴

善光寺の住職に君臨していた小松玄澄氏。

 

大勧進貫主と大本願上人という肩書の二人の住職で善光寺は多くの参拝者が訪れる長野県が誇る日本で有名なお寺の一つです。

 

小松玄澄氏は前者の大勧進貫主でしたが、彼の経歴を見てみましょう。

 

名前:小松玄澄(こまつげんちょう)

生年:1933年(昭和8年)

年齢:83歳

出身:京都府宇治市

 

10歳の時に得度と受戒を受ける(出家の儀式と仏教の戒律を受ける儀式)

 

比叡山延暦寺で修行中は100日苦行を行ったとされる。

 

1991年に善光寺大勧進・副住職に就任する。

 

2002年にはついに善光寺大勧進の貫主に就任し、事実上のトップとなる。

 

しかし、2016年に度重なる女性たちへのパワハラ問題が浮上し、7月13日に比叡山延暦寺に小松玄澄を罷免する要求書が提出された。

 

小松玄澄は龍谷大学を卒業しているが・・・

小松玄澄氏は若くして仏門の徒になってますが、しっかりとした学歴ももっています。

 

京都府の由緒ある龍谷大学の哲学科を卒業していて、仏門の修行だけで無く、しっかりと学勉もつんでいるのです。

 

370年の歴史がある龍谷大学は主に仏教と密接な関わりがある人間学問を中心として教育しているのです。

 

つまり学問的にも仏教のトップの人間の在り方などを知り尽くしているといえる小松玄澄氏ですが、長年の自身の根っこである善光寺に泥を塗る行為をしてしまうとは・・・。

 

小松玄澄が行った100日苦行とは?

 

小松玄澄氏は過酷で名高い有名な千日回峰行を行っているそうです。

 

具体的にいうと、修行を行う者は【行者】として、深夜2時に出発し、真言を唱えながら約30キロを6時間で歩き続ける。

 

雨の日も風の日・・・どんな天候であろうと、夜中に寺を出立して比叡山を歩き回るというのは、どれだけしんどい事か計り知れません。

 

そしてそれを1000日間繰り返すそうですが、100日苦行という名前で知られているのです。

 

小松玄澄は子供の頃から仏門がそばにあった

小松玄澄氏は10歳の頃から、前述した得度受戒をしていることから、仏門の徒の家柄に生まれた事は容易に推測出来ます。

 

仏門のシンボルといってもいい、比叡山にゆかりのある家柄の息子として生まれて、幼き頃から煩悩を捨てて修行に明け暮れていたからこそ、今回の様な破廉恥なスキャンダルをしていたのかも知れませんね。

 

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