木村和司はミスターマリノスと呼ばれ、伝説のフリーキックの男として、現在でも語り継がれている生けるレジェンド。
2017年10月13日の【爆報! THEフライデー】に病気をおして登場し、現在の状況を語るという。
病気により半身不随となり、娘と妻に支えられて、懸命に生きている木村和司。
木村和司の輝かしい経歴と供に現在の病気の具合などをみていこうか。
木村和司について
今日の木村和司氏です。ご査収ください。 pic.twitter.com/bIFYBfraK4
— りょー (@hardworkers2011) 2017年9月23日
【名前】 木村和司(きむらかずし)
【生年月日】 1958年7月19日
【星座】 かに座
【年齢】 59歳
【出身地】 広島県広島市南区
【血液型】 O型
【学歴】
- 広島県立広島工業高等学校
- 明治大学政治経済学部
【所属】 有限会社シュート
【デビュー】 1981年
【身長】 168cm
【体重】 64kg
木村和司は元サッカー選手であり、現在はサッカーの解説者、兼、指導者である。
木村和司のプロフィール
1979年に大学サッカーで日本代表となり、1981年に日産自動車サッカー部に入部。
元々、右ウイングとして活躍していたが、攻撃重視のMFにスタイルを変更し、日本代表の攻撃の要として大きく貢献。
1986年から日本サッカー協会によって認定されるようになった【スペシャル・ライセンス・プレーヤー】の第1号選手になった。
JSLカップ・天皇杯で三冠達成という偉業を成しえるも、日本代表の座からは遠のいた。
1993年に日本サッカーに、Jリーグが発足し横浜マリノスとの契約に望み、ミスターマリノスとたたえられたが、1994年に現役引退。
その後は指導者となるべく勉強し、1997年にS級ライセンスを取得してから、フットサル日本代表の監督に就任。
この頃に自身のマネージメントやサッカー学校などの業務とする有限会社シュートを設立。
2010年から横浜Fマリノスの監督に就任したものの、成績不振により2011年末には解任。
2012年からサッカー解説者となるが、2015年に病気により活動そのものが休止状態に。
半身不随の後遺症が残ったものの、2015年8月から解説者に復帰を果たした。
木村和司は病気により現在も右半身にマヒが残っている
木村和司
もっともっとサッカーが巧くなりたい!【引退時のコメント】 pic.twitter.com/CD5U2f3sqK— スポーツ選手達の名言bot@相互フォロー (@RomaShadrin2987) 2017年10月12日
木村和司は横浜Fマリノスの監督にあった2010年にその後の病気となる要因を作り出してしまう。
クラブは成績が低迷し、思うように選手を牽引できないこともあって、ストレスによってお酒と甘いものばかりを食す日々を送った。
この頃の木村和司の血糖値は普通の人間の2倍以上はあったそうであり、これが後にも響いた。
本来、我々、健常者の血糖値は食前には70~110mg/dl、満腹時であっても140mg/dlを超えることはそうそうない。
だが、木村和司の当時の血糖値は300mg/dlあったという。
更に糖尿病というのは遺伝にも関係し、実は木村和司の両親も糖尿病を患っていたと後に語っていたのだ。
木村和司は監督業を解任された後は、サッカー解説者や、自身が校長を務めるスクールで指導者として活動していた。
しかし、2015年1月に更なる病気が木村和司を見舞った。
ゴルフ仲間と供にゴルフコンペでホールを回っている最中に、身体がよろめき始めて、コンペ途中で突然、倒れてしまった。
自力で帰ることが不可能と感じた、ゴルフ仲間たちに病院に送ってもらい、緊急入院とあいなった。
病気は脳梗塞であり、その中でも特に日本人に多い、【ラクナ梗塞】という高血圧が原因の動脈硬化によるものであった。
命に別状は無かったものの、右半身に麻痺が残ってしまったという。
感覚を全くない状態なので、知らず知らずに捻挫していたり、本来ならば痛くて曲げられない状態にまで腕や足が曲がっていたこともあったそうだ。
病気の現在を支える娘と嫁
結局のところ木村和司が何故、脳梗塞という重い病気を患ったかの原因の大元はストレスにより暴飲暴食をし、糖尿病を患ってしまったことだ。
木村和司の嫁は祐子さんといい、現在、病気の後遺症が残っている木村和司の生活を懸命に支えている女性だ。
前述したように感覚がない身体が危険な状態のときは、嫁の祐子さんが気づかって補助しているという。
かつて、病気になるまえにも嫁の祐子さんは木村和司の支えであった。
自身の古巣である横浜Fマリノスの監督に就任した際、成績不振で解任されたとき・・・
自分なりに耕して芽が出て今からっていう時に辞めさせられたことに対して相当辛かったので1、2年くらい何も仕事してくれなかった。辛かった、本当に。
と、経済的にも苦しかったことを後に明かしている。
現在はそんな嫁の祐子さんとの間に生まれた長女の吏恵さんに会社の取締役を任せており、自身は祐子さんの助力の元でリハビリを続けながら、サッカー解説者として活動。
右半身不随であったが、懸命のリハビリのおかげで、箸を使って食事が出来る位にまで回復。
実は娘の吏恵さんも元々、サッカーをプレイしていた選手であり、その影響から会社の運営を担っている。
そんな過酷な人生を家族一丸となって、現在もたくましく生きているのが木村和司とその嫁と娘なのだ。
木村和司の伝説のフリーキックとは?
現在でも語り継がれている木村和司の偉業の一つとして挙げられているのが、1986年のワールドカップの『伝説のフリーキック』。
これはワールドカップ予選4試合連続ゴールを決めたフリーキックであり、本田圭佑に破られるまでは日本代表の記録を保持していたのだ。
ビデオを見ても分かるが、こんなところにシュートされたら、誰もとれるわけがない。
それほど凄いシュートをかつては繰り出していたのが、木村和司である。
木村和司の解説が酷いのは病気のせい?
木村和司が解説者として復帰してから、血の気が多く気性の荒いサッカーファンからは、酷評がチラチラと洩れている。
実況アナ「遠藤生き生きしてませんか!?」
木村和司氏「いやあ、、本当にボールたくさん触ってますよね。」
これ解説か? pic.twitter.com/fU9bPm1mln— りょー (@hardworkers2011) 2017年9月23日
木村和司はいいから家で大人しくしてくれ。こんなに解説しない解説者は要らないから
— エムレ (@mre_21) 2017年9月23日
実況アナ「曽ヶ端が準備できていませんでした!!」
木村和司氏「曽ヶ端が準備できてなかったですよねー!!」
思わず吹いてしまった。 pic.twitter.com/eDKEhHFNqW— りょー (@hardworkers2011) 2017年9月23日
更にはこんな声もネット上には溢れかえっている。
・いつも、ほとんど喋る内容が、一緒な気がします。
・あのオジサンはしょせん「選手」ですから。
・和司は、解説者ではなく、ゲストですよね。
・途中から沈黙しますよね。突然、喋り出すと、あれ?いたの?みたいな存在感のなさです。
・全く解説ができない。あーとかうーだけ。
・ネガティブすぎる 消音必須
・日本語を話せない。解説になっていない。
しかし、酷い言われようだが、それだけ熱いものをもっているのがサッカーファンということの表れでもある。
当然、これは病気のせいもあったりするのは否めないだろう。
だが、やはり生けるレジェンドとして、解説になってなくても、いるとそれだけ違う何かがあるのではないだろうか?
おわりに
木村和司の病気による現在の状況は、テレビ番組でも特集されるということなので、より詳しいことがいずれ判明しそうだ。
非常にこの数十年は本人は元より、嫁や娘は苦労をしたことであろうが、そんな嫁も娘ももう一度、木村和司のサッカーをしているところを見たいと仰っている。
加えて現在は監督に復帰夢見て、更なるリハビリに励んでいるという情報も出ているのだ。
今後とも益々の活躍を解説などでも存分に活かしていって欲しいものだ。