ツカサグループの川又三智彦(幸彦)の現在の仕事は?! 経歴は凄まじい転落人生だった!

ツカサグループの川又三智彦さんを憶えている方も多いと思います。

 

かつて、こんなメロディーは聴いた事があるんじゃないでしょうか?

さんの! よんよんまるまるわんわんわん! ツカサ~のウィークリーマンション!

あのテレビCMを仕掛けて莫大な売上を誇った【司建物管理有限会社】の社長・川又三智彦さんの現在にふれてみましょう。

 

元ツカサグループの川又三智彦の現在

川又三智彦 現在

川又三智彦さんは現在、福島県会津市に移り住み、【会津昭和30年代村企画株式会社】の運営をしています。

 

コンセプトは『昭和30年代の多世代家族が同居して、近所付き合いが親密だった村の再生』という。

 

会社を運営していると言っても、会社からの収益は無く、川又さんの現在の収入は約13万円の年金受給と私募債のみだとか。

 

そんな中でも、再起を目指し不動産事業を続け、福祉介護の世界に飛び込み、村おこしプロジェクトをしていたのです。

 

川又三智彦が今の仕事をやりだしたわけ

現在の川又さんの主な仕事である、昭和30年代村構想のプロジェクトは元々、会津若松にある施設【水織音の里】から、川又さんの元に持ち込まれたものだそうです。

 

2009年の事だそうで、ボランティアの若者たちを中心に、デイサービスの施設や農園を立ち上げる構想を練っていたそうです。

 

ですが、2011年の東日本大震災の影響で、計画を断念せざるえない事態になりました。

 

しかし、川又さんは諦めませんでした。

 

決めたことは最後まで何が何でもやり通すというのは、さすが起業家として成功を収めた方です。

 

2014年5月に猪苗代駅近くの廃墟となっていた敷地430坪の民宿を購入し、そこに前述した【会津昭和30年代村企画株式会社】を設立し、計画を再スタートさせたのです。

 

お金が無いのに、いくら廃墟同然だったとはいえ430坪の民宿を購入するというあたり、さすがは失敗したとはいえ、不動産のプロですよね。

 

プロにしか分からないテクニックがあるのではないかと、素人からみると思ってしまいます。

 

そんな不屈のビジネス魂を持つ川又三智彦さんの凄まじい人生を振り返ってみましょう。

川又三智彦の経歴

川又三智彦

1947年9月1日に栃木県で生まれた川又三智彦さん。

 

本名は川又幸彦さんといいます。

 

実家は【司建物管理有限会社】を営んでいました。

 

この時は実家の不動産屋も栃木県の街で運営している小さなものでしかありませんでした。

 

サレジオ学院高等学校を卒業後、アメリカのノースウエスタン・ミシガンカレッジに留学をします。

 

が、21歳の頃、実家の父が脳梗塞で倒れた為に1969年、川又さんが21歳の頃に帰国。

 

父を気づかいながら、帰国後に別会社に就職をしたものの、すぐに父の経営する【司建物管理有限会社】に入社。

 

1973年、川又さんが25歳になった頃、社長に就任し、徐々に不動産ビジネスの才覚を奮いだしていきます。

 

1983年に日本で初のウィークリーマンションという不動産サービスを展開する様になります。

 

それまで全く無いものだったサービスに出張中のサラリーマンや受験生などに大好評。

 

アメリカに留学していた頃に、得た経験が役に立ったということでしょうね。

 

日本のバブル景気で一躍、不動産王に!

1985年に不動産バブルが日本に到来し、各地で不動産の転売が盛んに行われて、現在ではありえない程の好景気が日本に訪れます。

 

不動産事業を扱っていた川又三智彦さんも当然、この波に乗り、莫大な資産を勝ち取ります。

 

バブルの頃、川又三智彦さんの経営する会社資産は3000億円はあったと言われていました。

 

不動産王として、ありとあらゆる評判が川又さんの周囲に巻き起こります。

 

渋谷に23億円の豪邸を建てたとか、ハワイや伊豆をはじめとする避暑地などに別荘を所有していると言われました。

 

ですが、実際の川又さん自身は年収は1000万円程度であり、住まいは目黒区の祐天寺の木造の借家だったそうです。

 

乗っている車も三菱のミニカであり、よく成功者にありがちなベンツなどの高級外車などではなかったのです。

 

バブル景気にのった社会やそれで甘い汁を吸おうとする銀行側に、川又さんは半ば無理矢理に金を貸し付けられたのが真相です。

 

その証拠に川又さんが父から継いだ【司建物管理有限会社】は、株式にすることもなく、そのままを維持していたのです。

 

ですが、不動産事業がうまくいっていることには変わりが無かったのですが、バブル景気が崩壊後の波は川又さんにも押し寄せ、暗転します。

 

バブル崩壊した川又三智彦のその後

日本が総量規制を余儀なくされて、一気に景気は崩壊。

 

しかし、バブル景気に酔いしれた銀行が貸し付けた借金は変わることはなく、川又三智彦さんの経営状態は非常に困難を極めました。

 

かの有名なアメリカの企業・リーマン・ブラザーズにウィークリーマンションの経営権を譲渡する変わりに経済的支援をしてもらったことで、バブル崩壊の余波を乗り切ったわけです。

 

が、2008年に当のリーマン・ブラザーズが金融危機の引き金をひき、倒産してしまいます。

 

その結果、川又さんも830億円もの負債をかかえこんでしまい、心労など日々の重圧により、脳梗塞で入院します。

 

ここで川又さんは療養生活中に介護福祉の素晴らしさと重要性に気づき、以後、そちらのビジネスをしていくことを決意したのだとか。

 

2009年に会津若松市に移住、新プロジェクトを開始し、2010年には自己破産をして、人生もリスタートしたということです。

 

川又三智彦のまとめ

830億円の負債を抱えていたというのは、普通の感覚では考えられないものです。

 

しかし、そんな逆境にも負けずに、再び逆転を狙い行動をし続けている川又さんを見ていると、凄くパワーがもらえたりします。

 

色々な成金特有の豪勢な暮らしぶりを噂して、それがさも真実の様に伝えられていますが、それが全部、誇張されたものであり、嘘も多かったというのは驚きです。

 

それに加えて、あの冒頭でも記した有名なツカサのウィークリーマンションのCMも、実は川又さんが広告をうったものではなかったそうです。

 

頼まれたらNoとは言えないお人好しな性格であることが、ここからも伺えますね。

 

やはり、成功と失敗は紙一重であり、それを作り出すのは、たった一つ、物事の考え方なんだと、改めて実感させられます。

 

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