川平慈英さんと言えば、マルチタレントとして活躍している方ですね。
そんな川平さんの父親や兄弟について、興味深い情報があったりします。
川平慈英さんもカッコよくてイケてますが、彼の兄弟や父親もなかなかの経歴を持っている代表的なカッコいい男性だったんですよ。
川平慈英の父親や兄弟の詳細
川平慈英さんは沖縄生まれのハーフ。
父親の川平朝清さんと母親の川平ワンダリーさんは3人子供をもうけましたが、慈英さんは末っ子です。
川平慈英さんを語る上で欠かせないのは、お父様の存在と上の兄弟お二人ですが、最初は父親の川平朝清さんを見ていきましょう。
川平慈英の父親・川平朝清
川平慈英さんの父親は沖縄初のアナウンサーである『川平朝清』さんであり、放送業界ではかなり有名な方です。
川平家は元々、沖縄が日本では無かった頃の琉球王国に代々、使えた家柄であったことから、日本に支配された後に差別されて、そこから逃れる為に台湾に移り住みます。
その時に生まれたのが朝清さんであります。
元々は台湾で医師を目指していたそうで、台北高等学校で医術を中心に学んでいたそうです。
それと並行して、【台湾放送協会】に属して、兄の朝申さんと供に芸能や放送業界の造詣を深めていたそうです。
が、第二次世界大戦の影響で、台湾から沖縄に戻り、米兵を相手にしていた沖縄女性の身体のケアを行う仕事をしていたそうです。
戦後は医学から遠のいて、沖縄民政府の芸術課長に抜擢されて、沖縄初のテレビ局である【琉球放送(RBC)】の開局に兄と尽力したのだそうです。
琉球放送が開局してからは、同局のアナウンサーとなり、1972年に退職。
沖縄本土復帰を機にに東京に移り住み、NHKの役員となりました。
台湾にいた頃にアメリカに留学をしていたそうで、そこでワンダリーさんと知り合い、現在、著名人として活躍している3人の子供を授かったのです。
川平慈英の兄弟・長男の川平慈温(ジョン・カビラ)
川平慈温さんは、ジョン・カビラという芸名で有名な方ですよね。
1958年11月1日に沖縄県那覇市で生まれた慈温さんは、1972年に川平家が東京に転居した後に世田谷区の学校に通っていました。
高校は母親のワンダリーさんが勤務していた【アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)】に進学、後に国際基督教大学に進学。
カリフォルニア大学バークレー校にも留学した経緯があります。
大学卒業後はCBSソニーに入社し、後にTBSラジオが主催するコンテストで優勝したのを切欠に、ラジオのDJに華麗に転身しました。
私達の知っているジョン・カビラさんは元々は芸能人ではなく、サラリーマンだったんですね。
弟の慈英さんと同じ様にサッカーに対して、並々ならぬ嗜好があるそうで、子どもの頃は現在の東京ヴェルディの前身である読売クラブのユースチームに慈英さんと供に所属していたそうです。
川平慈英の兄弟・次男の川平謙慈
川平慈英さんの兄であり、ジョン・カビラさんの弟でもある、次男の川平謙慈は芸能人ではありませんが、一般人としては数々の実績を挙げていらっしゃる有名人です。
1960年6月16日に生まれた川平謙慈さんは、わずか10歳でアメリカに単身留学をします。
一旦、帰国し東京の都立高校に進学するも、やはりアメリカへの憧れが強かったのでしょうね。
アメリカ・カンザス州のヘストンカレッジに留学し、卒業後は地元の病院で看護助手をしながら、シカゴ大学へ入学。
そして、シカゴ大学経営大学院に進学したそうで、並々ならぬ向上心と勉強家であることが伺い知れますね。
学校を卒業してからは、日本人にもお馴染みのコーンフレークの会社・ケロッグに入社します。
そして、マーケッティングコンサルタントの資格を得て、2003年に日本マクドナルドに入社。
当時、日本マクドナルドは業績不振に悩んでいたそうですが、川平謙慈さんがマーケティング本部長となってからは業績回復をしたそうです。
業績回復をさせた要因は彼が企画したマクドナルドCMであり、記憶に新しいあの仕事中、隠れてハンバーガーを食べているという映像が際立っていたアレですね。
とにかくハンバーガーを食べたくなってしまうCMとして、テレビCMを称える広告コンテストでグランプリを得たのです。
これにより、マクドナルドは赤字業績から一気に黒字に転換したそうで、当時の日本マクドナルドを救った男として、川平謙慈さんは一躍、ビジネスマンとして有名な方になりました。
現在はアメリカの企業である【Lipman Hearne(リップマン・ハーネ)】の副社長に就任しています。
川平謙慈さんも兄のジョンさんや弟の慈英さんと同じ様にサッカーが大好きであり、ストレス解消法としてサッカーをプレイすることと仰っています。
川平慈英の兄弟や父親についてのまとめ
川平慈英さんはマルチな活動をしており、もはやキャスターだけには留まらない活躍をしているタレントですよね。
そんな川平慈英さんの父親や兄弟の皆さんも、各方面で実績を出して、大活躍をしていらっしゃる方だったとは驚きですね。
やはり、何かで活躍出来る方の周囲って、凄く重要であることが川平慈英さんを調べてみるとよく分かります。
きっと慈英さん自身もまだ活躍していない頃から、父親の朝清さんや兄の慈温さんや謙慈さんの影響を受け続けて、ご自身の力に変えていたのでしょうね。
そして、彼らは全員が語学に堪能であり、英語を自在に操れる力を持っているのも、強みの一つでしょうね。
時代がどれだけ変わり、どこにいたとしても活躍出来る力が川平慈英さんには備わっているのも、こうした兄弟や父親の影響があるのでしょう。