島木譲二の死去はお笑い界に激震を巻き起こしたようだ。
そして、彼の訃報を聞いた一般人の注目している部分は、入院していた病院や嫁についてだ。
今回は島木譲二の入院していた病院の詳細と嫁について触れてみる。
島木譲二が死去した病院は?
島木譲二は2011年に腎臓を患ったことで、芸能活動を休止。
その後は大阪市内の病院へ通い、治療を受けながら自宅で療養生活をしていたことが明らかになっている。
そして先日、脳溢血により旅立たれた島木譲二だが、最期の時を迎えた入院先の病院は既にほぼ特定されているようだ。
大阪市内の病院で、ネットユーザーなどの以前の島木譲二の目撃情報から推測すると、淀川キリスト教病院である可能性が高いと思われる。
かつて島木譲二が通院治療していた際に、この付近で目撃されていたこともある様子。
ここが島木譲二の通院していた病院であることは、間違いなさそうだ。
と、なると島木譲二の自宅もこの近辺である可能性もある。
と、いうのも通夜と告別式は同じ大阪市淀川区の新大阪典礼会館で行われたという情報からして、やはりこの辺がホームタウンであった可能性も高い。
島木譲二の嫁について
島木譲二が入院先の病院で最期を迎えた時は、嫁に看取られて死去したということも明らかになっている。
大阪名物パチパチパンチ一本で、そのいかつい容姿でお客を苦笑交じりの笑いをとっていた異才の嫁がどんな女性か気になる方も多いだろう。
そんな島木譲二の嫁であるが、濱昭子(はまあきこ)という女性が嫁であったそうだ。
芸能関係者ではない様子で、一般女性と結婚したと思われる。
彼が離婚しているとか再婚しているという情報も出てこないので、初婚のままずっと寄り添っていたと思われる。
また島木譲二と嫁の昭子の間には子供の存在は無かった可能性もある。
島木譲二の情報を調べていても、子供の影が全くと言っていい程、出ない。
夫婦二人で、おそらくは淀川区内で、ひっそりと仲睦まじく生活していたのではないだろうか?
おわりに
島木譲二の通夜が行われた際に多くの芸能関係者が参列したことが話題になっている。
そこには嫁の昭子も喪主として参席して、各芸人仲間と供に最期の別れの時間を過ごしたのは感慨深い。
生前は驚くほどの酒豪でならしたと言われる島木譲二。
きっと天国でも酒をあおりながら、灰皿で自分の頭をポコポコと、叩いているのかも知れない。
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