藤真利子は壮絶な介護をしていたことで知られている女優。
現在はテレビ番組などへの復帰をしており、その介護生活の様相は、今はまだあまり知られていない。
ここでは主に壮絶な介護生活を紐解くとともに、旦那を作らなかった理由を見てみよう。
藤真利子について
【名前】 藤真利子(ふじまりこ)
【本名】 藤原真理(ふじわらまり)
【別名】 微美杏里(びびあんり)
【生年月日】1955年6月18日
【星座】 ふたご座
【年齢】 61歳
【出身地】 東京都
【血液型】 A型
【所属】 プロダクション尾木
【デビュー】 1977年
父は小説家で有名な藤原審爾。
母は藤原静枝であり、父の影響から芸能界の要人が多く自宅に来客としてやってくる環境にいた。
藤真利子はそんな多くの芸能関係者の影響から、女優の道を志すようになる。
作家の父は猛反対したものの、それを押し切って芸能界入り。
女優を目指したものの、最初は歌手として花開き、その実績をもとにして徐々にドラマ女優として、注目を浴びるようになっていった。
その経緯から、歌手時代に松任谷由実とは大親友となり、別名の微美杏里はユーミンに相談して名付けたとしても知られる。
かつてはユーミンの旦那・松任谷正隆の怒りを買い、ユーミンの大親友でありながら、松任谷家に出禁になったこともあるとか。
歌手活動は1979年から1984年頃までであり、並行して行っていた女優の活動をメインにドラマや映画に出演。
尚、火曜サスペンス劇場に起用されることが多かったが、犯人役としての俳優と一番、出演回数が多いという。
藤真利子の介護は母親の介護・・・
藤真利子の母親・藤原静枝は2016年11月7日に他界。
多臓器不全によるものである。
藤真利子はテレビドラマに引っ張りだこだったが、2005年以降は出演を控えていた。
それは母親の介護の為であったそうだ。
1984年に父の藤原審爾が他界してからというもの、母と二人で生活をしていた。
年々、母の静枝が身体に不調をきたして、ついには一人で満足に生活できないくらいにまで悪化した。
それが2005年頃の話であるという。
父が亡くなってから20年以上も供に過ごしてきた母を、仕事の都合などで施設にいれることが心情的に出来なかった藤真利子は在宅介護を決意。
しかし、その介護生活は想像を絶するほどにきついものであったそうだ。
藤真利子は母・静枝の介護をはじめてからの11年間、介護の経過など、母の健康状態などを記した介護日記を書き続けた。
現在は介護生活から解放されたものの、その悲しみが癒えることは無いだろう。
だが、残った身として、自らの幸せの為にも、過去と記憶に封印して生きていかなければならない。
現在、テレビに出演するのも、そういった理由からであるだろう。
藤真利子に旦那がいなかった理由とは?
藤真利子は過去には幾多の熱愛報道が取りだたされていた女性だ。
特に年下の男性俳優などとの熱愛がよく報じられていたことから、当時は『年下キラー』という異名がついたくらいだ。
かつては近藤真彦との8歳年の差熱愛報道が囁かれていたそうで、藤真利子が積極的に近藤真彦にアタックをかけていたという。
非常に親密な関係になったが、結婚に至ることもなく、そのまま時は過ぎていったわけだ。
恋愛経験が豊富だからこそ、結婚した後の虚しさというものを藤真利子は気づいていたと感じる。
また、自分にはいずれは、面倒を見なければならない母親の存在もあったことは若い頃から自覚があっただろう。
結婚してしまった場合は旦那となる愛する男性に迷惑がかかると感じて、踏み切らなかったと思うが。
おわりに
藤真利子は現在、61歳となってもその美貌は衰えてはいない様子。
長年の母親の介護で心身ともに疲弊していた筈だが、その美貌は劣化していないのも、さすが女優といったところか。
現在はTBSのドラマなどに出演していたりもするので、徐々にその活動を広げていくことが期待されている。