船村徹が死去した訃報が駆け巡っている。
日本演歌や歌謡曲の作曲を多数手がけて、多くの著名な歌手などを弟子にし、送り出してきた大御所。
死因の病気に対する具体的な情報と供に、船村徹に関して触れてみよう。
船村徹について
【名前】 船村徹(ふなむらとおる)
【生年月日】 1932年6月12日
【星座】 ふたご座
【出身地】 栃木県
【享年】 84歳
【デビュー】 1953年
獣医の父の元に生まれた船村徹は栃木県の高等学校を卒業後、現在の東京音楽大学に進学。
ピアノ科を専攻し、そこで音楽の基礎を学びながら、ライブ活動を米軍兵士を相手にしながら、実戦感覚を養っている。
演奏家としての経験も申し分ないが、1953年に作曲家として雑誌【平凡】のコンクールを経て、デビューした。
作曲家として非凡な才能を発揮し、数々のヒット曲を叩き出す作曲家として活躍。
後述する現在の大物演歌歌手の多くは、船村徹の弟子であったことも多い。
日本の音楽界の発展に貢献したということで、数々の文化賞を受賞している。
2017年2月16日に神奈川県藤沢市の自宅で病気により死去した。
船村徹の病気と死因について
船村徹は2016年5月に心臓の手術をしていたことが明らかになっている。
病気は心臓弁膜症の可能性があったようで、手術では心臓の弁の置き換え手術をしていたのだ。
術後の経過もよく、自宅療養をしつつも、アルコールなどを嗜めるほどに回復していたと伝えられている。
が、今年に入り2月に急変し、そのまま帰らぬ人になったわけだ。
死因は心不全である可能性があり、具体的には公表されてはいないが、元々、心臓に持病があったことからみて、間違いないだろう。
船村徹の弟子にはなんと・・・
船村徹には数多くの弟子がいるのは有名である。
昭和の演歌や歌謡曲を作曲家として牽引してきただけあって、これまで育て上げた弟子は今では超大物だったりする。
北島三郎・鳥羽一郎・大下八郎・ムーディー松島・香田晋・静太郎・天草二郎・走裕介・森サカエ・森若里子
そうそうたる顔ぶれではなかろうか。
特に鳥羽一郎や香田晋などは実際に船村徹の家に住み込みながらの、師弟関係を結んでいたということだ。
多くの演歌・歌謡曲の頂点の位置に立っていたこともあり、今回の訃報にはそれら関係者の多くは悲しみにうちひしがれていることだろう。
おわりに
船村徹という巨星が落ちたことで、様々なメディアでも取り上げられるはずだ。
死去に際して、具体的な死因は伏せられているものの、半ば既に特定されていたようなものである。
心臓の病気を患いながも、自宅でゆっくりと余生を送っていた船村徹は間違いなくよい生涯を閉じたと言えるのではないだろうか?
心からご冥福をお祈り申し上げます。