徳田虎雄というALSを患いながら『怪物』と呼ばれた男をご存じだろうか?
元衆議院議員でありながら、医療法人徳洲会のトップに君臨し続けたすごい御仁である。
今回は生ける偉人とも言える筆者的にはリアルアンサーと思って止まない徳田虎雄とALSに焦点を絞ってみたい。
徳田虎雄について
徳田虎雄は1938年2月17日に兵庫県高砂市に生まれ、程なく鹿児島県大島郡徳之島町に移り住む。
よって出身地は鹿児島県という記録になっている。
当時はアメリカ軍の占領時代であり、家は貧しかった故に弟が急病にかかり医者にもかかることが出来ずに亡くなる。
このことが切欠で医師になることを夢見て、高校生の頃に鹿児島から大阪に移住。
2浪したのちに大阪大学医学部に入学し、卒業後、銀行から多額の借金をする。
そして大阪府松原市に【徳田病院】を設立して、その後、【医療法人徳洲会】を設立。
徳田虎雄が自身の病院の方針として打ち立てたものは、当時の日本の医療界では斬新で型破りなものばかりであった。
・24時間、救急患者を受け入れる
・患者からの贈り物は受け取らない
・差額ベッドの廃止
などであり、『生命(いのち)だけは平等だ!』というスローガンを掲げて、全国に徳洲会の病院や診療所をオープンさせていった。
しかし、地方自治体や日本医師会と対立関係に陥った際、医療制度の改革には政治改革が必要と感じた徳田虎雄は、政治家になることを志した。
1990年に無所属でありながら初当選を果たし、自由連合を結成するが、無所属議員の寄せ集めだったことで、影響力を発揮することは出来なかった。
1993年の衆議院総選挙では自民党に入党し再選するものの、日本医師会の意向によって、たった3日で追放と相成る。
1994年に自由連合を政党化し代表として動き、村山改造内閣に与党入り。
1996年の衆議院総選挙では落選するものの、2000年の衆議院総選挙で再び当選し、2003年衆議院総選挙でも再選した。
徳田虎雄の学歴
・鹿児島県立徳之島高等学校に入学するも、大阪府立今宮高等学校へ編入。
・2浪の後に大阪大学医学部医学科に合格。
徳田虎雄はALSによって引退
徳田虎雄は2002年4月1日に筋萎縮性側索硬化症(略してALS)の発病に気づいた。
2年後の2004年2月からALSの病状が悪化し、国会に出席できずに療養することを余儀なくされるが、この時には自身がALSということを発表しなかった。
翌年の2005年8月8日に衆議院の解散を切欠に、体調が芳しくないという理由で政界から身を退くと発表した。
徳田虎雄が実は政治家時代に体調不良で引退した真の原因はALSの発病と一般に公開されたのは、【日本ALS協会】設立20周年記念式典の時であった。
この時は人工呼吸器を装着していた状態で、用意した文章を代読してもらうという形で、自身がALSであるという事実と、それからの心意気を語った。
徳田虎雄はALSと戦いながら徳洲会に君臨した
かつて病院を建てた時には『失敗したら自殺して、その保険金で返す』といって銀行から金を引っ張った徳田虎雄。
そして徳洲会を建てた時には、自らが掲げたスローガン『生命(いのち)だけは平等だ!』を表現するかの様に、連日、医師として病院に泊まり込みながら仕事に望んだ。
しかし、だからこそ運転手付きの車で病院へ行く途中に急いでいる際は、赤信号無視を強要したりするなど、徳洲会の中では『暴君』として恐れられていたというエピソードもある。
政治家として活動し、ALSの発病と病状が悪化し、政界を引退した後も徳洲会の理事長として君臨し続けていた徳田虎雄。
しかし、ALSによって両手両足が動かせない状態で顔の表情も作ることが困難な状態であった。
徳田虎雄は部下に50音のひらがなのメッセージボードを持たせて、自身は目を動かして文字を示して、徳洲会に運営の指示を送り続けた。
徳田虎雄が指示を送り続けた病院は神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院の最上階の特別室。
富士山の壮大な光景を目にしながら、文字盤を使って徳洲会を牛耳っていたことが公になった時は、各著名人や一般市民の反響は大きかった。
徳田虎雄こそリアルアンサーといえる
筆者は何かの映像で徳田虎雄のことを知った際、こう思った。
『この人こそ、リアルアンサーである・・・。』
そう思い良い意味ではあるが、背筋がゾクっとした感覚は今でも忘れていない。
リアルアンサーというのは、筆者の造語であるが、意味を解説しよう。
アーバンレジェンド、都市伝説の小話で【アンサー】という話がある。
それは頭だけで生まれてきた子供がいて、実はその子供は人類の全てを知っているミュータントであり、特定の番号を携帯電話でかけると、たまに繋がるといった想像を絶するすごい話。
徳田虎雄は考えることと、眼球を動かすことしか出来ない状態に陥りながらも、指示を部下たちに送り続けて権力を維持しているという怪物である。
もはやこれは人間ではない神の領域であると言っても過言ではない。
徳田虎雄がすごいというのはホリエモンも認めている
かつて堀江貴文(ホリエモン)が刑務所で読んだ本の中に、徳田虎雄の自伝があった。
それを読んだ際、非常に感銘を受けて釈放後、自身のYouTubeチャンネルでも、度々、徳田虎雄がすごいということを絶賛して語っている。
辛口で他人の評価などをあまりしないあのホリエモンも『すごい!』と認める数少ない人物こそ徳田虎雄その人なのだ。
おわりに
徳田虎雄の経歴や軌跡を含め、ALSのことを絡めてお届けしたが、やはり改めて調べてみても『すごい』としか言いようがないお方だ。
現在は以前の様に指示も出来なくなっており、ただ、じっと余生を送っているだけの生活であるようだが、長年、ALSでありながら徳洲会という医療グループを牛耳っていた実績やカリスマ性は目を見張るものがある。
生ける伝説といっても過言ではなく、一部の人間からは『田中角栄を超えた唯一の男』とも称されるほどでもあるのだ。
おそらくはあと100年は、徳田虎雄の様な人物は現れないと筆者は考えているが、どうだろうか。