田辺靖雄さんと九重佑三子さんがテレビ出演されるそうなので、気になることを調べてみました。
それは田辺靖雄さんが以前にかかった謎の病気と息子の晋太郎さんのことです。
そして、意外なことが分かったのでシェアしてみます。
田辺靖雄の経歴と実績
田辺靖雄さんは高校生の頃に六本木でスカウトされたことで、芸能界入りを果たしました。
その頃の田辺靖雄さんは結構、悪ガキだったそうで、【六本木野獣会】と異名がつく仲間と供に遊び暮らしていたそうです。
六本木野獣会と呼ばれていた仲間はすごい面子です。
中尾彬さん、ムッシュかまやつさん、大原麗子さん、峰岸徹さんなど、今からすると超豪華メンバーが遊び仲間だったそうです。
そして、六本木野獣会の中心人物が田辺靖雄さんだったのだから、更に驚きですね。
田辺靖雄さんをスカウトしたのは渡辺プロダクションであり、さながら六本木野獣会の他の仲間ごとスカウトした様な形ですね。
往年のテレビ番組【夢であいましょう】などの番組にレギュラー出演を果たして、その後は歌手もするように。
大ヒットソング【ヘイ・ポーラ】や【二人の星を探そうよ】の影響で人気歌手となった田辺靖雄さんは、歌手だけにとどまらずに俳優にもなり、芸能界の重鎮として地位を確立しました。
2010年7月に一般社団法人日本歌手協会の代表理事にも就任し、後輩の育成や業界の内部の調整などに尽力している現在です。
田辺靖雄の謎の病気とは?
田辺靖雄さんを語る上で欠かせないのが、病気のことです。
2008年に田辺靖雄さんは原因不明の病気にかかります。
病気の症状は足がどういうわけか動かなくなる原因不明のものでした。
病院にいくと、いずれ歩行不可能になるから入院をすすめられたそうです。
が、妻の九重佑三子さんは気丈な態度で、医者の薦めを退けて、田辺靖雄さんを自宅へ連れて帰りました。
そして、九重佑三子さんは田辺靖雄さんに過酷なリハビリを課したのです。
田辺靖雄さんは車椅子にのっている生活が良いとほのめかすことを九重佑三子さんに言ったのが、リハビリを与える切欠だったそうです。
1年間の厳しいリハビリの末、何と原因不明の病気が消えて、田辺靖雄さんは再び歩けるようになったのだそうです。
この病気は謎のまま、名前も分からないようですが、考えられるのは心因性(ストレスなど)の疾患であるのではないか?と、思います。
田辺靖雄と九重佑三子の馴れ初め
田辺靖雄さんを謎の病気から救ったといっても過言ではない妻の九重佑三子さん。
おしどり夫婦として、供に現在も尚、芸能生活を続けていらっしゃるお二人の馴れ初めは歌番組です。
1972年当時、九重佑三子さんは既に人気タレントでしたが、事務所側からは男性芸能人と喋ってはいけないという指示があったそうです。
ですが、九重佑三子さんは田辺靖雄さんのファンであったそうです。
田辺靖雄さんの方は九重佑三子さんのことを無口で生意気だと感じていたそうです。
お互いにこの頃には意識する間柄になっていたようですが、九重佑三子さんの出世ドラマともいえる【コメットさん】で共演。
お互いの気持ちを抑えることが出来なかったお二人はめでたく結婚と相成ったのでした。
田辺靖雄の息子・田辺晋太郎
1973年に結婚した田辺靖雄さんと九重佑三子さんは、その5年後に長男に恵まれました。
それが現在、音楽プロデューサーや肉マイスターなどのマルチな活動をしている田辺晋太郎さんです。
フリーキャスターの本村由紀子さんを妻として、AKB48の渡辺麻友さんや瀬戸康史さん、海外アーティストへの楽曲を提供するなどの売れっ子作曲家でもあります。
そして実は田辺晋太郎さんが尊敬しているアーティストは小室哲哉さんで、大のTM NETWORKのファンなのだそうです。
プライベートでは料理を作ることが大好きで、自ら都内の飲食店で厨房に立ったこともあるのだそうです。
つまり、料理の腕前もプロ級であるということですね。
音楽家の傍ら、食肉に関しての全般的な知識をもっていたことから【肉マイスター】という肩書を名乗ることに。
2014年に一般社団法人【食のコンシェルジュ協会】を自ら立ち上げて、肉食文化を後世に広める為の活動もしているそうです。
まとめ
田辺靖雄さんと九重佑三子さんの息子である田辺晋太郎さんは、非常にお父様とお母様の顔の特徴あるところを受け継いでおられます。
そして、音楽プロデューサーや作曲家として成功を収めてるだけに飽き足らずに、肉文化をより一層、広めるという活動もしているあたり、すごいアクティブな方だと感じます。
田辺靖雄さんと九重佑三子さんのいつまでも変わらない夫婦愛だからこそ、晋太郎さんの様に素敵な男性が育ったのだと思うと、非常に感慨深いですね。