武邦彦さんは日本が誇る名ジョッキー・武豊さんの父でありますが、逝去されました。
【ターフの魔術師】として輝かしい記録を挙げて、調教師になったあとも、数々の名馬を調教したことでも知られています。
息子には武豊さんや武幸四郎さんが騎手で有名ですが、豊さんは三男であり、幸四郎さんは四男なのだそう。
長男と次男は果たして、どの様な人物であり競馬関係者なのでしょうか?
武邦彦の長男は武 伸(のぼる)
武邦彦さんは4人の息子をもうけました。
長男は武伸(たけのぼる)さんと仰る方であり、以前は競馬関係のフリーライターを生業としていました。
ですが、2000年に覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまい、現在は競馬関係の仕事にも就いておらずに一般人として、ひっそりと暮らしているそうです。
伸さんはフリーライターを以前はしていたということですが、実は騎手を志望していたようです。
ですが、邦彦さんがこれに反対して、騎手の道を諦めたという経緯があります。(後に詳しく後述)
武邦彦の次男
邦彦さんの次男は一度もメディアの前でその素性はおろか、職業までも明かされたことはないようです。
完全に一般社会にとけこんで生きている様で、競馬関係者でもないようです。
おそらく邦彦さんの背中を見ながら、長男の競馬に対する憧れと挫折などを見て、自分は別の世界で生きるという決意をしたのかも知れません。
武邦彦が長男を騎手にしなかった二つの要因
長男の伸さんを邦彦さんが騎手にしなかった理由が二つあります。
・自分の息子を騎手という危険な職業に就かせたくなかった。
・長男が騎手には向いていないことが分かっていたから。
武邦彦さんは騎手としても素晴らしい方でしたが、邦彦さんが騎手自体にライバルだったジョッキーで、福永洋一騎手がいました。
福永洋一さんは落馬事故で後遺症が残る程の重傷を負いましたが、これを邦彦さんはリアルタイムで見て、衝撃をうけたのです。
だから、長男の伸さんが騎手になりたいという気持ちを拒んだという逸話があるのです。
また、伸さんは後に大活躍する事になる三男の豊さんよりも、運動神経は優れていたそうですが、騎手としては致命的な欠陥がありました。
それは彼の体格が大きすぎたことです。
競馬の第一線で活躍している騎手は小柄な体格が圧倒的に多く、邦彦さんも小柄な体格でした。
この為に騎手になることを熱望していた長男の伸さんは、騎手を諦めたというわけです。
邦彦の長男・伸さんの逮捕で明るみになる
長男の伸さんはそれでも競馬のことが忘れられなかったようで、競馬に携わる仕事としてライターの道に進みました。
が、弟の豊さんが自分自身がなりたかった騎手として、大活躍をしている光景にやるせなさを覚えたようです。
このことが覚せい剤に身を染めた原因であると、まことしやかに囁かれているそうです。
武邦彦さんの長男と次男に関するまとめ
日本競馬という華やかな舞台の立役者である武邦彦さんと武豊さんと武幸四郎さん。
ですが、そんな華やかな中でも、こうした悲劇を背負いながら生きてきたというのは驚きです。
30年間、騎手として大活躍した後に、調教師になり名馬を多数、調教し2009年に定年で調教師を引退しました。
そして、邦彦さんは77歳で滋賀県の済生会滋賀県病院でお亡くなりになられました。
激動の人生を送ってこられた邦彦さんのご冥福をお祈り申し上げます。