高田真理は往年の人気フォークグループ【青い三角定規】のギタリスト。
10数年前に残念ながら、凄まじい自殺をしているが、その原因が現代病ともいえる心神耗弱によるものであった可能性が高い。
ここでは高田真理の経歴や自殺に至るまでの経緯を紐解いてみよう。
高田真理について
【名前】 高田真理(たかだまり)
【生年月日】 1947年5月7日
【星座】 おうし座
【享年】 59歳
【出身地】 兵庫県神戸市
【血液型】 不明
【学歴】 不明
【所属】 日本ビクター(死去直後は無職であった)
【デビュー】 1971年
高田真理は歌手として芸能界入りした後の1971年に【青い三角定規】のギタリストとして活動。
【青い三角定規】はフォークグループでありながら、斬新な楽曲構成が話題を呼んで大ブレイク。
1972年には青春ドラマ【飛び出せ!青春】の主題歌を担当し【太陽がくれた季節】は100万枚以上のセールスを叩き出した。
しかし、程なくメンバー間の音楽性の違いから解散し、高田真理はフォークデュオ【まざぁ・こんぷれっくす】を結成するが消滅。
音楽活動から離れてから、5年間の間、山籠もりをして仙人ライフを実践し、埼玉県入間市に移り居酒屋を経営していた。
2006年8月に青い三角定規の再結成が決定していたが、高田真理は人身事故を起こして逮捕。
その影響で青い三角定規の再結成が中止となった。
2006年9月26日に埼玉県入間市の団地から飛び降り自殺し、死去した。
高田真理の自殺の動機や原因は一体なんだったのか?
(高田真理が最期を遂げた現場は今でも存在している)
高田真理は音楽活動から退いてからは、居酒屋経営などを生業としていたが、それも廃業。
死去直後は無職であったそうで、晩年は年老いた両親との3人暮らしであったことから、経済的には困窮していたと思われる。
それ以上に高田真理を自殺に追い込んだ原因は、やはり青い三角定規の再結成を棒に振ってしまったことによるものではないか?
高田真理は2016年9月11日に、入間市内で飲酒した状態で原付バイクに乗り、通行中の女性を撥ねて重傷を負わせた。
警察に逮捕されたことが、マスコミに知れ渡った。
飲酒運転撲滅の機運が高まっていた時期であった為に、高田真理に対する非難がおおく、これを重く見た青い三角定規の関係者が再結成を中止した。
実際には高田真理は逮捕されたものの、書類送検のみで釈放されている比較的に罪は軽く済んでいる。
しかし、再び昔のファンの前でステージに立てることに期待を持っていたであろうことが、自分のせいで頓挫してしまったことは、相当の精神的ダメージを与えたのは言うまでもない。
自分で自分の未来を潰してしまい、挙句に以前の仲間や機会を最終的にぶち壊してしまった悔やみが、高田真理を自殺に至らせたのかも知れない。
高田真理の自殺は衝撃的で遺書もあった・・・
高田真理が自殺した直後の記録を某メディアが現在でも掲載しているので、それを引用してみよう。
狭山署の調べによると、26日午後4時ごろ、入間市内の12階建て公団マンションの住民から「ドスンという音がして外に出たら男の人が倒れている」との110番通報があった。
マンションは高田さん宅の近くにあり、外付け階段から飛び降りたとみられる。高田さんは黒いジャンパーにズボン姿で、車止めの鉄柱が左胸に突き刺さった状態だった。
引用:zakzakより
何とも凄まじい最期を遂げた高田真理は、ショルダーバッグを持っており、中からは知人に宛てた遺書ともいうべきメモ書きがあった。
そこには『死にたい』などと書かれていたという。
これらの壮絶な最期は現在でもネットでは語り継がれており、車止めに串刺しの様に最期を迎えたというのが、あまりにも衝撃度が高すぎるのだ。
高田真理の死後に母親が青い三角定規のメンバーである西口久美子に”素晴らしい曲がこれで聴けなくなってしまうのは寂しい”と言われて、2008年1月に再結成となった。
おわりに
高田真理の壮絶な最期は非常に痛ましいものとなった。
有名人の自殺というのは、これまでにも沢山あったが、やはりそこには経済的な困窮などが関わっているのは大きな動機と言える。
だが、それだけではなく、一時は活躍して全てが順調そのものであるといった体験が、己のプライドを頑なに守る要因となり、別の道に踏み出せない自分を作り出す。
そうなると、自分の可能性を自分で潰すことになり、結果的に変わりゆく時代についていけずに、身を滅ぼす種を植えていくことになるのだ。
過去は一切、関係なく、ただ自分の未来を見て出来る行動をしていれば、自殺するどころかそこには大きな幸せが待っているのだが。