藤村俊二が亡くなるという訃報は、突然の号外によって報じられた。
最初の報道では死因は伏せられていたようであり、それは非常にミステリアスなものを彷彿とさせていた。
が、現在は死因は判明しており、亀田病院で死去したことも明らかになっているのだが・・・。
藤村俊二について
【名前】 藤村俊二(ふじむらしゅんじ)
【綽名】 おヒョイ、またはおヒョイさん
【生年月日】 1934年12月8日
【星座】 いて座
【享年】 82歳
【出身地】 神奈川県鎌倉市
【血液型】 B型
【学歴】 早稲田大学第一文学部・演劇学科
【デビュー】 1960年
【所属】 O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)
藤村俊二は大学卒業後に東宝芸能学校舞踏科の一期生として卒業した。
その後は日劇ダンシングチームに入団し、イギリスとフランスに渡った。
しかし、本場の舞踏の素晴らしさに圧倒されて、舞踏家の道を断念。
帰国後は振付師に転向して、ザ・ドリフターズの【8時だョ! 全員集合】のオープニングの振り付けを担当した。
全員集合のあの名物といってもいい、コミカルな踊りの振り付けを担当したのが、藤村俊二であったとは驚きだ。
裏方として芸能界に属していたものの、その気さくな性格なところが幸いし、俳優やナレーターなどとしても活躍した。
藤村俊二の死因は?
藤村俊二は2015年10月で、それまで4年間、ナレーターを務めたNTVの人気番組【ぶらり途中下車の旅】を降板。
原因不明の体調不良の為ということで、入退院を繰り返していたことだけが分かっていた。
そして、2017年1月25日に既に死去していたことが、2月1日にマスコミから公開された。
最初の報道では伏せられていた死因だが、現在は心不全によって亡くなられたことが明らかになっている。
実は藤村俊二は過去、大手術を3回もして、見事に生還している生命力の強い御仁なのだ。
53歳の頃には肺気胸で手術を受けて、無事に成功。
56歳の頃には胃がんを患い、摘出手術を行っている。
64歳の頃には大動脈瘤の手術をして、見事に生還し、芸能活動に元気に復帰している。
今まで、これだけのアクシデントを持ち前の明るさと生命力で乗り切ってきた藤村俊二だが、その最後は心不全ということで、どこか切ない雰囲気にとらわれる。
もう、おやすみなさい・・・と、いう感じに思えて仕方がない。
藤村俊二は亀田病院で亡くなる?
藤村俊二が亡くなるという訃報に、世間のユーザーの関心はどういうわけか亀田病院に集まった。
千葉県鴨川市の亀田病院は非常に有名であるのだが、藤村俊二が亡くなる前に入退院を繰り返していた病院がここであるという噂だ。
しかし、確定情報とまではいかないようである。
ただ、藤村俊二の病院の特徴は、綺麗な海が見える洒落た病院であるということ。
看護師には非常に美人さんがそろっていると、評判の高い病院ということから、亀田病院ではないか?と、言われている様である。
たしかに特徴には全て当て嵌まっているので、ほぼ判明と見ても良いとは思うのだが・・・。
おわりに
藤村俊二が亡くなるという号外の訃報には、おそらくは日本中がビックリしたであろう。
死因の心不全というのは、心臓がその活動を停止したというものであり、数々の難病を乗り越えてきた藤村俊二の最期には少々、合わないと感じる。
おそらく最後は亀田病院で死去したということで、綺麗で明るい洒落た場所で、静かに安らかに召されたと思うと、切ない反面、お疲れ様でしたと言いたい心境に駆られる。
藤村俊二のご冥福を心からお祈り申し上げます。