反田恭平さんは若手の天才ピアニストとして知られていますね。
若干22歳で世界に躍り出た反田恭平さんが高校生の頃は、どの様な少年だったのでしょう?
反田恭平さんの高校生の頃に焦点を絞って、綴ってみましょう。
反田恭平の経歴
反田恭平さんは幼少の頃からピアノを弾いていたと誰もが感じるでしょうが、実は12歳からだそうです。
これは、ピアニストとして活躍している人間の中では、確実に遅い部類に入るわけです。
本来、音楽家を志して子供に教え込む家庭というのは、メチャメチャ厳しいのが定説です。
毎日、血のにじむ様な練習を課し、スパルタの様な教育方法で子供に音楽を叩き込む。
これは何もピアニストだけではありませんが、その様な環境で反田恭平さんは育たなかったようです。
元々は反田恭平さんはサッカー選手になりたくって、そちらの練習をしていたそうですが、小学5年生の時にサッカーの試合中に手を骨折。
それが原因でサッカー選手を諦めていた時に、母親の薦めで音楽の道に入ったのです。
反田恭平さんの母親がエレクトーンを弾く、音楽好きな方だったようで、ヤマハの音楽教室に入室させたことが切欠なんだそうです。
それまでは音楽よりはサッカーを勤しんでいた反田恭平さんですが、母親の影響は間違いなく受け継いでいました。
母親がエレクトーンで弾いた曲を、反田恭平さんはすぐに弾けてしまうという業をしていたことから、間違いなく絶対音感がすでに子供の時からあったと思われます。
サッカー選手への夢を断ち、音楽の道に入った反田恭平さんが入室したヤマハの音楽教室は一音会という私塾でした。
ここは小さな子供に音感教育や感情を豊かにする教育を施すことで知られる一風変わった音楽教室でした。
元々、反田恭平さんは音楽の感性があったわけですが、ここに入ったことにより、更に音楽のセンスに磨きがかかったのでしょうね。
そしてピアニストになりたいという気持ちが湧いてきた反田恭平さんは父親にそれを話すと
音楽高校に行きたかったら、中学3年生までにコンクールで一位を取ってきなさい
と、言われたそうです。
ここから、反田恭平さんのピアニストへの階段を駆け上る物語がはじまったと言えるでしょう。
反田恭平が卒業した高校は?
反田恭平さんは中学生の頃には既に音楽に関しての感性はずば抜けていたそうです。
父親との約束であるコンクールで一位をとるというのも中学2年生の時には達成し、高校へ進学します。
その結果、桐朋女子高等学校(女子と書いていても共学)に入学。
この桐朋女子高等学校は音楽家を志す少年少女がゴロゴロいる音楽校の名門であり、とてつもなくレベルが高いわけですが、反田恭平さんは中学の時の実績などから奨学金を得て入学できたのです。
やはり若き天才というものは、子供の頃から伝説を作っていると感じますね。
反田恭平の高校の時代は?
反田恭平さんの高校時代は正に音楽漬けの日々だったでしょう。
奨学金で特待生として入学できても、周りには将来、絶対に音楽家として食っていくとギラギラしながらもセンスを磨くライバルたちがいるわけです。
そのライバルたちも小学生、中学生の頃から実績を積み上げて、猛特訓をしてきた子供達です。
周りとは一線を画しており、評判もこの頃から高かった反田恭平さんであっても、自分自身の感性を磨いて、切磋琢磨していたのではないでしょうか?
そして、高校の頃から既に視野に入っていたのはロシアのモスクワ音楽院だったようですね。
後に大学に進学して程なく、モスクワ音楽院に入学。
しかも、日本人として初の最高得点をひっさげての首席入学を果たしたのだそうです。
反田恭平の高校時代の受賞歴
高校を卒業した後はロシアのモスクワ音楽院に留学した反田恭平さん。
しかし、高校時代にもそれに見合うだけのピアニストとしての実績が無ければ、到底、留学も出来なければ、進学も出来なかったわけです。
高校時代にどの様な賞を獲得したのでしょうか?
・学内ピアノ・コンチェルト・オーディション 第1位
・第81回日本音楽コンクール ピアノ部門 第1位
野村賞、井口賞、河合賞、岩谷賞(聴衆賞)を併せて受賞
同じ高校の同級生たちは、同じ年であっても、反田恭平さんは雲の上の存在に思っていたのでしょうね。
そして、彼のそれまでの経歴を聴いて、愕然とした音楽家の卵である高校生たちも、当然、いたでしょう。
ですが現在、日本を代表する世界のピアニストの一人として活躍している反田恭平さんの姿を見て、劣等感に打ちひしがれた高校の同級生達も、今は誇りに思っているとおもいます。
あの反田恭平と同じピアノ弾いていたんだよって感じで。
関連記事
↳ 反田恭平に彼女がいないなんて信じられない! いるでしょ?