ロイヤル小林と言えばボクシングWBCの世界王者であり、日本のハードパンチャーの先駆けと言ってもいい伝説のプロボクサーである。
そんなロイヤル小林の死去が発表されて、死因も食道がんであったことが公となり、ファンは悲しみに暮れている。
死去前の現在の生活はなんと世界王者には似つかわしくないものであったのだが・・・。
ロイヤル小林について
ロイヤル小林の本名を小林和男。
1949年10月10日に熊本県下益城郡で生誕した。
拓殖大学に入学、これを卒業後は自衛隊体育学校でボクシングを始めたという。
ボクシング世界王者まで昇り詰めたキャリアにおいては、比較的に遅いスタートであったと思われる。
その後はミュンヘンオリンピックの選抜選手として出場し、ベスト8へ進出。
オリンピック選手としての実績を認められてプロボクサーとして国際ジムからデビューした。
『KO仕掛け人』の異名をとるほど、KO勝ちを連発し、そのKO率は8割を超えるものであった。
1976年2月15日にWBC世界Jrフェザー級の王者であるリゴベルト・リアスコに挑戦し、これを8回KOで下し、世界王者となった。
ちなみに当時の日本プロボクシング界において、大学卒に加えてオリンピック日本代表選手として、初のプロボクシング世界王者であった。
更にはこの時期は11年間もの間、日本には世界王者は存在していなかったのだが、ロイヤル小林が王座に輝いたことで、日本に世界ベルトを久しぶりにもたらしたチャンプとして注目を集めた。
1981年に現役を引退し、畑山孝則も所属していた横浜光ボクシングジムでトレーナーを務めていたが、ボクシング界から身を引く。
2020年11月17日に死去していたことが、12月8日に報道にて公表された。
ロイヤル小林の現在の画像
ロイヤル小林の現在の画像というのは、少々、言葉は違うが、いわば近影である。
往年のKOマシーンの面影はない、どこにでもいる普通のおじいちゃんという感じだ。
ロイヤル小林がボクシング界から身をひいて、故郷の熊本に帰ってからの職業というのは、何と警備員であったという記録が残っている。
日本のボクシング黎明期に様々なジンクスを打ち破って、日本に栄光をもたらしたロイヤル小林の実績から見れば、あまりにも寂しい晩年であったと思わないだろうか?
何故、ロイヤル小林が自身の晩年をその様な形で過ごしていたのかは謎であるが、おそらくはボクシング界の内情に疲れ果てていたのかも知れない。
それかボクシング一本で身を立ててきた人生を一旦、白紙に戻して、いわば『普通の人』として生きていきたかったのかも知れない。
そちらの方が哲学的で人間味あふれるとは思っているのだが・・・。
ロイヤル小林の死因は食道がん
ロイヤル小林は現在、報道されている内容によると、2020年11月17日(先月)には既に死去していたという。
既に一般人としてひっそりと生きていた往年の名チャンプ・ロイヤル小林に起きた不幸に気づくものは、親族をおいていかなったということの表れなのだろう。
食道がんを患っており、それが死因となったということで、何とも痛ましい限りである。
享年は71歳であるが、現在の日本の平均寿命にしては割と早い状態であったと言えるかもしれない。
しかし、ロイヤル小林本人は既に普通の人として生きていたために、ある意味、家族に囲まれてひっそりと天寿を全うしたということで最後は幸せであったのかも知れないが。
ロイヤル小林のまとめ
筆者はボクシングなど格闘技全般が好きであったが、日本ボクシング界に光を差し込んだ先駆者的なKOボクサーとして、ロイヤル小林は好きな選手であった。
ロイヤル小林はチャンピオンになってからも、それに驕ることなく常にチャレンジをし続けた。
その結果、世界王者から墜落して、最後は元世界王者でありながらも、格下の選手に無様に敗れ続けるという一見、破滅型のボクサーの最後に思えた。
だが、実は常に全力で余裕を残して辞めるのは卑怯であると言わんばかりの人生を歩んでいたのではないだろうか?
そういう見方をするのであれば、たとえ負け続けてしまった最後であっても、日本人が忘れてしまったサムライスピリッツを持っていたと思えなくもない。
現在はただひたすらロイヤル小林のご冥福をお祈りいたします。