ペギー葉山が死去した報道が入ってきている。
かつて息子の自閉症を告白し、夫の根上淳とはおしどり夫婦として知られていた伝説の歌手だ。
そんなペギー葉山の晩年などを紐解いてみよう。
ペギー葉山について
【名前】 ペギー葉山(ぺぎーはやま)
【本名】 小鷹狩繁子(こたかりしげこ)
【生年月日】 1933年12月9日
【星座】 いて座
【享年】 83歳
【出身地】 東京都新宿区
【学歴】 青山学院女子高等部
【所属】 東和商会太田事務所
【デビュー】 1952年
子供の頃から歌をうたうことが好きだったペギー葉山は、青山学院に入学した後に声楽家の内田るり子の弟子になる。
音大を目指していたが、ラジオ番組で流されるアメリカのポピュラー音楽を次第に意識するようになり、それまではクラシック専門であったが、ジャズの転向をする。
進駐軍のキャンプで歌手としてのキャリアを積み始めて、スカウトを受けたペギー葉山は、当時のビッグバンドである【スター・ダスターズ】に加入。
青山学院卒業後の1952年11月に【キングレコード】からレコードデビュー。
その後、1965年に俳優の根上淳と結婚し、長男を出産。
歌手だけにとどまらずに、タレント活動もこなし歌手でありながら、紫綬褒章と旭日小綬章を受章した。
2017年4月12日に肺炎により死去。
ペギー葉山の息子は自閉症であった!
ペギー葉山の息子は1968年に生まれたが、後年、ペギー葉山がテレビ出演をした際に、息子が思い自閉症であったことを告白している。
息子が小さい頃は、後述する夫の根上淳と供に自閉症を患う息子の育児をしながら、歌手業も精力的にこなしていたようだ。
大きくなって自閉症でありながらも、普段の生活の面倒がそれほどかからなくなり、タレント業なども並行して活躍していたペギー葉山に追い打ちをかけることが起きる。
ペギー葉山の夫・根上淳の介護と死去
1998年にそれまではおしどり夫婦として、良き夫であり理解者だった根上淳が脳梗塞で倒れる。
糖尿病をかねてより患っており、その合併症が原因であったそうだ。
歌手業を続けながらの夫の介護生活に突入したが、脳梗塞の後遺症の影響により、夫の性格が変わってしまったのだという。
介護生活に入るうえで自宅を介護しやすいように改築した際に、夫は不満を抱き、俳優としても活躍できなくなったことから塞ぎこんでしまったという。
そんな夫を献身的に介護していたペギー葉山だが、2005年に夫の根上淳は死去した。
亡くなった夫のが残したメッセージは
もっと早く一緒にブランデーを飲んでおけばよかった
と、いう言葉と、ブランデーを残して旅立たれた根上淳。
ペギー葉山は口移しで夫にそのブランデーを飲ませたという、涙なしには語れない逸話もあるのだ。
おわりに
ペギー葉山は息子の自閉症と夫の根上淳の介護などを背負い、かなり晩年は苦労した様子。
しかし、夫の死去後は社団法人日本歌手協会の7代目の初代女性会長に就任したりと、病気で伏せるまで名誉ある歌手として生きていたという。
日本を代表する歌手として、数々の実績を得て旅立たたれたということは、日本芸能史に伝説となって名を残すであろう。
ペギー葉山のご冥福を心からお祈り申し上げます。