奥村彰子と山県元治は、日本犯罪史上、類を見ない9億円もの横領事件を起こした犯人。
愛憎と金の魔力に憑りつかれた二人の人間が引き起こした事件であるが、そんな犯人の奥村彰子と山県元治の現在はどうなっているのだろう?
出所後のその後は公開されているものもあり、今回はそれをメインに触れていこう。
奥村彰子と山県元治について
奥村彰子は1930年12月生まれ。
大阪府北河内郡の出身であり、3人姉妹の末っ子として育った。
奥村彰子は平凡に学生時代を過ごしていたものの、18歳の高校卒業するころに、父親が愛人を作って家族を捨てていくというハプニングに見舞われる。
そのせいか高校を卒業してから就職した滋賀銀行京都支店では”男性に負けたくない”という気持ちが強くなり、熱心に仕事をこなしていたという。
父親の影響のせいか母親は男性不信に陥り、奥村彰子の縁談話は母親の反対などもあり、全くまとまる兆しを見せなかった。
山県元治は1940年に朝鮮で生まれた大家族の五男坊主である。
高校受験に失敗して中学卒業後は、硝子店に住み込みで働きながら定時制に通うが、友人との付き合いで競艇にハマりだしていた。
しかし、山県元治は歌手になりたいという夢があり、鼻などを整形して容姿を整えて、喫茶店で歌をうたうこともしていた。
そんな山県はお洒落であり、女性に酷くモテていたという。
硝子店を退職して、その後、陶器店で独立開業をしたが、競艇で負けて店を潰して、タクシー運転手で食いつないでいた。
山県元治と奥村彰子のファーストコンタクト
1965年の春、滋賀銀行の別支店である北野支店に転勤していた奥村彰子は既に35歳になっていた。
交際していた男性はいたが、その男性と喧嘩してしまい精神的に非常に落ち込んでいた。
職場の懇談会で酒を飲み酔っ払っていた時に、拾ったタクシーの中で泣きだしてしまった。
そんな奥村彰子に優しく『どうされたのですか?』と、事情を聞いてきた運転手が山県元治であった。
タクシーの車中で奥村彰子の話を聞く、山県元治。
気分を良くした奥村彰子は山県元治に『酔って帰ったら母がうるさいのでドライブしよう。』と誘い、30分ほど京都市内のタクシードライブをした。
奥村彰子は山県元治の優しく聞き上手な態度に非常に魅力を感じて、また会いたいと感じて、名前を告げて去った。
奥村彰子と山県元治の再会が運命を狂わす・・・
1966年の春、奥村彰子は山科支店に転勤しており、職務は普通預金係を担当していた。
帰宅途中のバスの中で、突然、男に話しかけられた。
『あの時の彰子さんではないですか?』
声をかけてきたのは山県元治であった。
奥村彰子は山県元治のことを忘れていたが、口調や声の調子で思い出したのだった。
山県元治は奥村彰子を喫茶店に誘い、2人は久しぶりに話し込んだ。
喫茶店では山県は小遣いが沢山あるから、ギャンブルで負けても平気であり、自分の兄は商売を繁盛させているという景気のいい話を奥村彰子に聞かせ続けた。
奥村彰子は滋賀銀行の普通預金係を担当していた為に、お金を持っていると感じた山県元治に『私の銀行に貯金して欲しい。』と頼み込んだという。
山県元治は年上の奥村彰子が綺麗と感じていたものの、本気で相手にしてくれないと思っていたようだった。
しかし、実は奥村彰子は山県の想像を超えるくらいに惹かれており、積極的に電話などでアピールしていたという。
数回の食事デートの後で、2人は関係を持つようになり、それは交際関係に発展する。
奥村彰子を食い物にする山県元治・・・
山県元治は競艇で過去に店を潰していたにも関わらずに、競艇で遊ぶ習慣を抑えることが出来なかった。
『ボートをやる金がいる。』と言い出した山県に対して、奥村彰子は5000円、10000円と貸すようになっていた。
惚れている山県と結婚を視野に入れていた奥村彰子は、そのお金が返ってこなくてもよかったが、山県の要求は次第にエスカレートするようになる。
次第に奥村彰子は自分の貯金や家族の貯金を崩すほどに、山県に入れあげるようになってしまっていた。
山県はそれで中古車を買うなどしていたのだが、奥村彰子は山県元治を最後の結婚相手の機会と感じていて、愛想を尽かすことは無かった。
むしろお金さえ工面できれば、山県を繋ぎとめておけるという考えになっていたようだ。
奥村彰子はとうとう客のお金を山県元治に貢ぐことに・・・
奥村彰子はこの頃には普通預金係から定期・通知預金係に異動していた。
そんな時、バス会社を定年退職した男性と知り合い、男性はことのほか奥村を気に入っていた。
奥村は男性に営業をかけて預金勧誘用の案内を見せると、彼は100万円の小切手を届けてきたのだ。
早速、定期の証書と印鑑を渡そうとしたものの、彼は受け取らずに奥村に預けたままにしておいたのだった。
そんな話をデート中に山県元治に話すと、そのお金をなんとか使えないかと頼みこまれてしまう。
客のお金に手をつけるわけにはいかないと断るものの、滋賀県のドライブ帰りに立ち寄った中古車センターで、山県は執拗に車を乗りかえる為に100万円の小切手を金に変えるようにねだってきたのだ。
結局、奥村彰子は山県元治の要求におれてしまい、男性の定期を証書を偽造して中途解約をして100万円を引き出したのだった。
山県は競艇で当てて、一発で返すといい焦る奥村をはぐらかすが、彼女は男性に怪しまれない様に色仕掛けを使って、男性と肉体関係をもつまでになってしまった。
特別な関係となった奥村彰子を信用して、結局、男性は山県に金が流れていることを知らずに、合計1240万円を奥村に預けてしまっていた。
奥村彰子と山県元治の悪事が発覚し・・・
山県元治のお金の要求はとどまることを知らずに、銀行に電話をかけてきて要求する程になっていた。
この頃には関係をもった男性のお金も無くなっており、奥村は思案した結果、銀行の金に手をつけてしまうようになった。
1972年10月には奥村彰子は定期・通知預金事務決済者を任されるようになり、これが更に犯行をエスカレートさせた。
結局、最初の横領から、ここまでで2年間で1300回もの横領を繰り返しており、山科支店からは9億円ものお金が無くなっていたのだ。
1973年2月1日に奥村彰子は山科支店から東山支店に突然、異動命令が出た。
バレることは明白であり動転した奥村彰子は山県元治に心中を要求するようになるが、当の山県は悪びれずに奥村から300万円を無心して下関へ帰ってしまったという。
奥村彰子は下関に帰った山県元治にかくまってくれるように泣きながら頼んだが断られてしまい、失踪する。
奥村彰子と山県元治の逮捕と判決
当時、下関では山県元治の羽振りの良さは注目を浴びていた。
定職にも就かないのに、外車やボートを数台持ち、豪邸まで所有。
更にはギャンブルで1000万円負けても、翌日には再び1000万円を投げ、山県の兄や母も金周りが良くなっており、おかしかったからだ。
結局、奥村彰子が全国指名手配となり、交際していた山県元治にも疑惑が向けられて、程なく山県元治は逮捕。
山県はあっさりと奥村彰子の潜伏先も供述し、彼女も逮捕されたのだった。
逮捕後に明らかになった真実として、山県元治は実は1970年5月に別の女性と結婚しており、娘までもうけていたという。
完全に奥村彰子は金ヅルとして山県元治に利用されていただけであったのだ。
3年に渡る捜査と裁判の結果、奥村彰子は懲役8年、山県元治には懲役10年の判決が下され、更に銀行への賠償として奥村彰子は1000万円、山県元治は3000万円を支払うように命じられた。
奥村彰子の出所後のその後は?
奥村彰子も山県元治も結局、控訴せずにそのまま判決通り刑務所に収監された。
和歌山女子刑務所に服役した奥村彰子は入所当時から刑務所内では有名であり、同じ受刑者から奇異な視線を向けられていた。
奥村彰子は非常に所内ではおとなしく弱々しい雰囲気で過ごしていた為か、いじめられたりもしたという。
出所後、奥村彰子は結婚をした。
当然、それは山県元治とではなく、刑務所に入る前に知り合っていた別の男性だ。
詳しいことは不明であるが、おそらくこの男性は最初に奥村に100万円の小切手を渡した被害者の男であると思われる。
彼は奥村彰子が出所するまで待っていて、出所後のその後に結婚をしたということである。
念願の結婚はこういう紆余曲折を得て叶ったわけだが、それにしてはあまりにも失うものが大きすぎたと言えるだろう。
山県元治の出所後やその後の詳細は全く情報が無いために不明であるが、こういった生き方をしている輩だ。
決して畳の上で死ねるということはなさそうだが・・・。
奥村彰子の現在は全く不明であるが・・・
奥村彰子は2017年、もしも生きていれば87歳となっている。
生死の詳細も現在は分かっていない様であるが、あまりにも悲劇的な中年時代を作り上げてしまったのは、山県元治のせいでもあるが、自己責任以外の何物でもない。
だが、最終的に出所後まで待っててくれる男性がいたことだけは、唯一の救いか。
しかし、奥村彰子の生き様を紐解いてみると、愛情の成せる力というのは凄まじいものがある。
そして、そんな女性に寄生していた山県元治の醜さといったら、とてもではないが外道以外の何者でもないと感じる。