落合陽一の父親は国際ジャーナリストの落合信彦であり、自らは【現代の魔法使い】と豪語しているアーティスト。
落合陽一は母親と供に父親の宿泊するホテルを尋ねるという生活を続けていた、一風変わった家庭生活を行っていたのは有名。
ここでは落合陽一と父親の落合信彦や母親について紐解いていきましょう。
落合陽一について
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— 明和電機 (@MaywaDenki) 2017年11月19日
落合陽一は1987年9月16日に東京都港区六本木で生誕している。
父親はジャーナリストの落合信彦であり、叔父はアメリカで活躍した空手家兼、作家の落合秀彦。
兄弟はおらずに一人っ子。
高校は開成高等学校に進学して、2度、東京大学の受験に落ち、筑波大学に進学し情報メディア創生学を学び、その後、東京大学大学院学際情報学府博士課程を修了。
その後はコンピュータとアナログを組み合わせた独自の視覚触覚を刺激する作品を数々送り出し、メディアアーティストの異名をとっている。
尚、アーティストだけではなく、大阪芸術大学、デジタルハリウッド大学の両大学の客員教授として招かれ、更には実業家として知られている。
落合陽一の父親・落合信彦について
落合陽一の父親は1942年1月8日に東京都葛飾区で生まれた。
東京都立両国高等学校・定時制を卒業しており、学生時代には柔道家として全国大会で優勝。
その後、ペンシルベニア州のオルブライト大学の奨学金を得て同校に進学し、兄の落合秀彦と供に武道の教室をたちあげて学生起業家となる。
大学卒業後はテンプル大学院に進学し、石油を扱うビジネスと並行して学業をしていた。
オイルショックをいち早く見抜いていたようで、その前にビジネスを成功させた状態でクローズし、1973年に日本に帰国した。
日本に帰国後は作家・国際ジャーナリストを中心に活動しており、現在までに100冊を超える著書をだしている。
1997年に母校のオルブライト大学から名誉博士号を授与、2002年には中国・山東省観光大使に任命されている。
落合陽一の母親と父親の奇妙な生活とは?
父親の落合信彦が帰国し、航空会社のキャビンアテンダントであった女性と結婚。
その後、作家やジャーナリストとして大成し、1987年に落合陽一が生まれた。
この頃には既に港区に居住していたが、作家として売れっ子であった父親はホテル住まいをして執筆活動をしていたという。
母親はCAを退職したのちに、衛星放送の会社を経営し、音楽プロデューサーとして活動していたという。
そんな落合陽一は仕事の忙しい父親と母親の代わりに祖父母に育てられていたので、特に寂しい想いをすることもなく幼少期を過ごしたという。
何不自由なく暮らしていたので、非行に走ることも無く充実した日々を送っていたという。
一風、他の家庭と違っていたのは、週に1度、落合陽一は母親と供に父親の宿泊するホテルを尋ねるという生活を行っていた。
これは落合陽一が高校生のころまで続いていたそうであり、まるで父親というよりは目上の人間を訪問するという形をとっていた。
経済的に成功している落合家には更にルールがもう一つあったという。
それは決してお金を与えずに、落合陽一が欲しいものがあった場合は、現物を買い与えるということである。
更にその欲しいものを父親や母親に買って欲しい時は、プレゼンテーションをして納得させる必要があったという。
これはおそらく自分にとって本当に必要なものか、不必要なものなのかを判断させるための独自の教育方法であったことは言うまでもない。
こうした幼少期の経験があるからこそ、現在の落合陽一は誰にも臆することなく、自分の見解を正々堂々といえる気丈な人物に育ったと言える。
おわりに
落合陽一の生い立ちや父親と母親について紐解いてみたが、さすがに普通の家庭とはいさささか違っている。
意外なことに落合陽一も父親の落合信彦も、供に学生時代にはある種の挫折経験をしているというのも、現在からは想像もつかない過去である。
最近では落合陽一は父親の落合信彦とも積極的に対談をしており、自身の活動では何とかイノベーションを起こそうとしているようだ。
今後の活躍に是非、期待したいものである。