今から16年前に起きた衝撃的な【西鉄バスジャック事件】。
犯人はインターネット掲示板【2ちゃんねる】に犯行予告を事前に書いており、自身の名前を【ネオ麦茶】と名乗っていた。
西鉄バスジャック事件の犯人である【ネオ麦茶】のその後はどうなっているのかを中心に書いてみましょう。
西鉄バスジャック事件の犯人
この事件は2000年5月3日に17歳の少年によって起こされた高速バス乗っ取り事件。
事件の名前は他に【西鉄高速バス乗っ取り事件】とか【佐賀バスジャック事件】とも言われており、犯人が自らをネオ麦茶と名乗ったことから、【ネオ麦茶事件】とも呼ばれています。
犯行当時は17歳ということで実名や顔などは一切、公表されていなかったものの、彼がバスを乗っ取った時に望遠レンズをつけたカメラで撮影された一枚の写真は広く出回っています。
あどけなさが残る眼鏡をかけた優等生タイプの少年であり、とても、この様な凶悪な事件の犯人とは思えない風貌でした。
西鉄バスジャック事件の犯人の処罰
バスを乗っ取った後の犯人の少年は15時間以上も立て籠もった後に福岡県警と大阪府警の隊員で編成された特殊部隊SATの突入を受けて現行犯逮捕。
常軌を逸した事件であることは言うまでもなく、犯人の少年に刑事責任能力があるのかどうかを確かめることになりました。
広島地方検察庁は犯人の少年には『刑事処分が妥当である』と、佐賀家庭裁判所に送致しました。
そこで犯人の少年は精神鑑定をうけた結果、『解離性障害や行為障害症状があり、精神分裂病を発症する可能性がある』と診断されました。
診断結果を受けて、解離施設での精神科医の観察が言い渡された後、裁判では5年以上の医療少年院への送致と保護処分が下り、京都医療少年院に収容されたのです。
西鉄バスジャック事件の犯人のその後
2005年のある日、犯人の少年がバスジャックした際に負傷させた女性が面会にきたのだそうです。
彼女は犯人の少年にこう告げたそうです。
『誰からも分かってもらえずに、つらかったんだね。』
それに対して、犯人の少年は
『申し訳ありませんでした。』
と、深々と頭を下げて、謝罪をしたのだそうです。
事件から4年8ヶ月後の2006年1月に犯人の少年は収容されていた京都医療少年院を仮退院。
仮退院後、およそ2ヶ月間は保護観察処分となり、3月26日に本退院をしたのです。
犯人の少年・ネオ麦茶が本退院してから10年の月日が流れました。
現在の年齢は33歳であり、我々と同じ社会のどこかで息をひそめながら、生活していることでしょう。
過去の贖罪をし、決して消えることのない十字架を背負いながら。
西鉄バスジャック事件の犯人の動機
そもそも犯人の少年・ネオ麦茶は何故、この様な事件を起こしたのでしょうか?
彼は中学生の頃、いじめの被害者であったそうです。
彼の両親はそれを学校に相談するものの、学校側はいじめの事実を否定したのだそうです。
少年はいじめの憂さ晴らしの標的を、両親と妹に向けました。
この時期の彼の家庭は地獄そのものだったのではないでしょうか?
高校生になったものの、たった9日間、通学した後に不登校になり、5月には自主退学をしました。
家に引きこもりインターネット掲示板・2ちゃんねるで憂さを晴らすようになり、この時のハンドルネームがネオ麦茶という。
この頃には遺書とも思える様な、手記も書いているそうで、もはや人生を捨てている犯人の少年の心模様があります。
家庭内暴力と引きこもりを重ねる少年を親は精神科医に相談し、療養所に入れるものの、これが彼の行き場を失わせることになったようです。
療養所かから出たあとに、自分がいじめを受けた母校である中学校で無差別に生徒たちを襲う計画をたてて、実行しようとするも、ゴールデンウィークで休校。
母校の襲撃計画から、西鉄バスの乗っ取りへと切り替えたのです。
西鉄バスジャック事件の犯人の少年の犯行動機にはの根底には、いじめというものがあったようです。
そして、暴力的になり、歯止めが効かない少年を療養所にいれたことが、事件へのトリガーを引いたということのようです。
犯人の少年は両親にも捨てられたと感じて、自ら命を断つ前に、自分をそんな風にしたものに復讐をするという気持ちが犯行に走らせたのでしょう。