渚ようこという歌手をご存知だろうか?
かつてクレイジーケンバンドで活躍した美声をもつ女性であったが、この度、死去報道が流れている。
以前から渚ようこの年齢はひた隠しにされており、この度、死去し死因が発表されながらも、年齢を明かさないというのは何故なのだろうか・・・。
渚ようこについて
出典:Yahooより
【名前】 渚ようこ(なぎさようこ)
【生年月日】 非公開
【年齢】 非公開
【出身地】 山形県白鷹町
【血液型】 非公開
【学歴】 非公開
【所属】 Sexcite Records
【デビュー】 1994年
渚ようこの経歴など
平成の歌謡歌手。
1994年デビュー以来、ザ・ヘア、コモエスタ八重樫、及川光博、ハプニングスフォー、
半田健人、渋さ知らズ、内田春菊など数々のアーティストとコラボレート。
クレイジーケンバンドの横山剣プロデュースによる作品や、
日本を代表する作詞家・阿久悠とのコラボレーションで独自の歌謡世界を構築。
横浜に 戦前から実在した老娼婦を扱ったドキュメンタリー映画
『ヨコハマメ リー』の主題歌「伊勢佐木町ブルース」のカバー、
若松孝二監督の『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』の挿入歌として、
渚ようこ の歌唱による作品が起用されている。
そして2008年、デビュー以来の夢であった新宿コマ劇場での公演 を、
自らプロデュースし『新宿ゲバゲバリサイタル』を開催。
2010年4月には森山大道の撮影による写真集『NAGISA』を発表。
同写真展のライヴの実況録音盤「あなたにあげる歌謡曲~NAGISA篇」を
自身が主宰するレーベルSound・Of・Eleganceから発表。
(イラストレーターの宇野亜喜良のライヴペインティングとトークの模様を収録)
2012年、名古屋のアングラ音楽の奇才・松石ゲルサウンドプロデュースによる、
「ゴールデン歌謡・第1集~さすらいのギター」を発表、一貫して歌謡歌手としてのアプローチをし続けている。引用:渚ようこオフィシャルサイトより
渚ようこの年齢は?
以前から渚ようこの年齢は謎に包まれており、死去した現在も享年などは一切、公開されていない。
しかし、往年のファンなどは、その年齢がおぼろげながら分かっている様子である。
渚ようこさんは年齢非公表だけど、俺は知っている。彼女は俺と1歳しか違わない。40歳過ぎたら何があってもおかしくはない。
— 番組p (@undo4b) 2018年9月30日
半田健人先生と渚ようこさんの『かっこいいブーガルー』を聴きながら出勤中なのですが、最近半田先生をTVでお見かけしないなぁ…。半田先生は年齢は一個しか変わらないけど、もう昭和歌謡のスペシャリストなので尊敬の念を込めて先生と呼ばせていただいてます。
— 🌹🎩yuka🎩🌹 (@yuka_otwo) 2012年3月6日
画像などを見ると非常に古い年代のジャケットを意識して、制作されているもののデビューは1990年代前半ということもあるから、おそらくは50歳代前半であると思われる。
往年のブルースシンガーなどを意識しているから、渚ようこの年齢は60歳を超えているという声も出ている様だが?
享年すら公表しないというのは、あくまで渚ようこの遺志を尊重しているからであることは間違いない。
渚ようこの死因は心不全だが・・・
渚ようこの死去を伝えたのデイリーニュースである。
歌手の渚ようこさんが28日午前10時40分、心不全のため都内の病院で亡くなった。30日、公式サイトで発表され、報道各社にもFAXが送られた。葬儀は、遺族の意向により家族葬で執り行うといい、後日お別れ会を開く予定。
引用:デイリーニュースより
死因は心不全であることは、報道からでも分かるが、心不全という病名そのものが、変死ということでもあったりするのだ。
それでは何故、心臓が停止したのか?と、いうおよその原因などは詳しく明かされていない。
しかし、2018年になってからも定期的にライブ活動などをこなしており、決してメジャー路線にはいなかったものの、歌手としての活動は精力的に続けていた。
報道でも死去に関しては急逝としていることからも、急性心不全というのが死因としては正しいと考えられる。
おわりに
渚ようこが死去したわけであるが、その死因などが公表されていても、年齢が公開されないというのは謎であるように感じられる。
それはどこか意味深でもあるのだが、渚ようこがそれだけ年齢に若干のコンプレックスなどを抱えていたのかも知れない。
だから、そんな遺志を関係者並びにスタッフが受け継いで、何としても具体的な年齢を明かさない様に尽力しているように思えて仕方がない。
死去しても尚、永遠とファンの脳裏に残る渚ようこの姿が生き続けるというアプローチにも思える。
しかし、今はただ、渚ようこのご冥福を心よりお祈り申し上げます。