Mr.マリックが娘のLUNAと供にテレビ番組に登場し、過去を洗いざらいぶちまけるという。
超魔術師として一世を風靡したMr.マリックにも、過去は非常に散々な人生を歩んできたという。
娘のLUNAは昔はグレており、自分の父親がマリックであることを隠していたようだ。
そんな親子の過去を紐解いてみよう。
Mr.マリックの娘・LUNAについて
廊下に座り込むMr.マリックの娘みたいな人に笑った pic.twitter.com/v2cTCcGyd8
— かんた (@amrain947) 2017年6月14日
【名前】 LUNA(るな)
【本名】 松尾るな(まつおるな)
【生年月日】 1980年5月24日
【星座】 ふたご座
【年齢】 37歳
【出身地】 東京都品川区
【血液型】 B型
【所属】 株式会社JCC
【デビュー】 2002年
LUNAはMr.マリックの娘であり、2002年にR&B歌手・ラッパーとして芸能界入り。
インディーズで年間100本を超えるライブ活動をし、親の七光りと言われたくない為に、2003年までMr.マリックが父親であることを隠していたという。
2003年にMr.マリックと供にテレビ番組で共演を果たして、親子関係であることを公表。
その切欠はプライベートでDAIGOを見たことが切欠であり、彼の祖父が総理大臣であったにも関わらずに、批判を受けなかったことを知ったからであるという。
現在はラッパーとして活躍すると供に、CMにもMr.マリックと共演するなどのタレント活動もしている。
Mr.マリックの娘・LUNAは元ヤンキー?!
Mr.マリックの娘であるということで、小学生の頃に酷いいじめを受けていたのが切欠で、非行に走りだしたという。
父親のマリックは家庭を母親に任せっきりで、仕事に没頭していた為に、娘のLUNAの私生活は荒れに荒れて、何と中学校を退学させられるという事態に陥った。
幼い頃は一緒にMr.マリックと外出した記憶もなく、会話すらほぼ無い状態であったというから、娘がグレるのは当然と言えば当然なのかも知れない。
こういった過去もラッパーとして活動する中で、父親の存在をひた隠しにしてきた要因の一つでもあるだろう。
Mr.マリックについて
超魔術ブレイクス by Mr.マリック pic.twitter.com/1hQ5RbUVwF
— 馬鹿レコードbot (@jyake_ten_bot) 2017年6月25日
【名前】 Mr.マリック
【本名】 松尾昭(まつおあきら)
【別名】 栗間太澄(くりまたすみ)、松尾幻燈斎(まつおげんとうさい)
【生年月日】 1949年1月1日
【星座】 やぎ座
【年齢】 68歳
【出身地】 岐阜県岐阜市
【血液型】 B型
【学歴】 岐阜県立岐阜工業高等学校
【所属】 マリックプロモーション
【デビュー】 1988年
Mr.マリックは幼い頃からマジシャンになることが夢であったが、高校卒業後はパロマに就職。
それまでも歯科医のアマチュアマジシャンにマジックを習い、マジックのイベントやコンテスト番組で優勝。
その後、退職し、デパートのおもちゃ売り場などで店頭販売や、マジックの小道具を売るショップ経営や教室などを開設。
1988年に日本テレビの伝説の深夜番組【11PM】に登場し、超魔術と謳ったマジックで公に知られるようになった。
【ハンドパワー】というキーワードは流行語となり、大人気マジシャンとなり、日本のマジシャンの第一人者となる。
一番弟子にはクローズアップマジックを得意とする『ふじいあきら』がおり、現在も尚、マジシャンとして活躍する傍ら、後進の育成とコンサートの演出の監修などをしている。
Mr.マリックの素顔は詐欺師?!
Mr.マリックは90年代、テレビで自身を売り出していたときは、マジックとは言わずに【超魔術】と言っていた。
これはテレビ番組製作スタッフと考えだした造語であり、ユリ・ゲラーの影響を受けて作り出されたものである。
だが、一般の視聴者などの中には、マリックが披露するマジックを超能力であると勘違いして信じ込んでいた者もいた。
当然、マリックが見せる超魔術は全てマジックであるが、これを逆手にとってゴシップ雑誌などが詐欺師呼ばわりにして、ネタにしたという過去があるのだ。
現在の様にインターネットで情報が安易に手に入る社会では無かったのが、逆に仇となってしまっていたと思われる。
当然、Mr.マリックは詐欺師ではなく、その素顔は仕事一辺倒の頑固オヤジという昔気質の人間であるのだ。
おわりに
Mr.マリックと娘のLUNAがテレビ番組【しくじり先生】に登場する。
現在、公に語られなかったより深い情報も本人たちの口から、赤裸々に語られる可能性が大なので、より細かく知りたい方々はオンエア必見である。
しかし、父親が知名度があり有力者であると、子どもがグレやすいというのは、どこの家庭でも同じなのだろうか?
やはり天は二物を与えないということの表れだろう。
が、それも過去の事であり、現在が良ければよい思い出になるわけだが。