宮崎勤は東京埼玉連続幼女誘拐事件の犯人であり、事件は別名・宮崎勤事件とも言われている。
宮崎勤事件の後の残された一族の末路は悲惨そのものであり、正に被害者家族と違った地獄を経験しているようだ。
ここでは宮崎勤事件と一族の末路をまとめてみましょう。
宮崎勤事件とは?
宮崎勤事件とは公式名称・警察庁広域重要指定117号事件であり、東京埼玉連続幼女誘拐事件と言われている。
1988年8月から1989年7月までの間に、4歳から7歳の女児が犠牲となった。
更には遺族の元に犠牲となった女児の骨が送られ、新聞社に犯行声明などが送付された犯人・宮崎勤の異常で奇異な行動が波紋を呼んだ事件だ。
1989年7月23日に犯人の宮崎勤は八王子で幼女の姉妹を狙って事件を起こしたが、姉妹の父親によって取り押さえられて現行犯逮捕。
4人の女児の命を奪った自供をし、あまりに特殊で異常な犯行内容から、宮崎勤には精神異常の疑いがあるとされ、精神鑑定が行われた。
多重人格の疑いもあったが、あくまで人格障害の範囲に収まると診断されて、検索の起訴が行われた。
裁判は9年物間、行われた結果、死刑判決が下り、2008年6月17日に宮崎勤は東京拘置所にて死刑となった。
宮崎勤の一族の末路のまとめ
宮崎勤は父親と母親、姉と兄、妹と弟がいた。
一族を束ねる父親は当時、東京都西多摩郡五日市町(現在はあきる野市)にある新聞社を経営していた資産家。
宮崎勤事件が発覚してからは、一族に凄まじい数の嫌がらせの手紙が届き、家族は別の土地に引っ越している。
犯人の宮崎勤が逮捕された後の1994年に父親は所有していた自宅や土地を売り払い、それを被害者遺族の賠償金に充てた。
その後、東京都青梅市の神代橋から飛び降り自殺をしている。
宮崎勤の姉は職を失い、婚約中であったが、婚約者に迷惑がかかることを懸念して、自ら婚約破棄をしたという。
妹は看護学校にいたが、兄が逮捕されたことにより、自主退学をしている。
兄と弟は供に仕事を辞職、更に父親には二人の弟がおり、次男は5つの会社の役員をしていたが、その全てを辞職。
三男は妻と娘のためを思い、宮崎姓から旧姓に戻したいいとして妻とも離婚し娘を引き取らせている。
その二人の娘は、やはり職を失った。
宮崎勤の母親には兄がおり、2人の息子は警察官と高校教師であったが供に辞職。
宮崎勤事件が起きた現場のその後!
宮崎勤が東京や埼玉から幼女を誘拐し、事件を起こした場所は住んでいた自宅であった。
現在はあきる野市に変わっているが、その住所は判明しているのだ。
一族は家や土地を売り払ったが、とてもではないがそんな事件の現場となった家など買う人間はいやしなかったろう。
宮崎勤事件の場所となった忌まわしい自宅は既に取り壊されており、土地すら買い手がつかずに、現在も荒れ地となっている。
正に呪われた土地となっており、事件の影響が大きすぎる為に、今後も誰も買おうとする人間はいないのは明白だ。
おわりに
宮崎勤事件は現在でも語り継がれている戦後最悪の凶悪事件の一つといっても過言ではない。
そんな犯人の一族の末路をまとめてみたが、一様に悲惨極まりない。
かつて、ある新聞記者が
この事件(宮崎勤事件)を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った。加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした。
と、漏らしていたというが、被害者家族と同じ位に加害者の一族も同様の被害者となるのだ。
取り返しのつかない犯罪をおかした人間の親兄弟、親戚、関係者、その全てが外部からは白い目で見られて、間違いなく十字架を背負う人生を歩まなければならない。
宮崎勤は既に死刑をうけて、この世にはいない。
そんな宮崎勤の父親も自殺と言う末路を辿ったわけであるが、残された家族は現在も幸せを感じていることは無いのは間違いないだろう。