平幹二朗が死去前にカミングアウトをしていた! 相手は一体、誰?

平幹二朗が死去したが、実はあるカミングアウトをしていたのだ。

 

大物俳優には、その様な噂があったりするのだが、平幹二朗は紛れもなく本物だったようだ。

 

平幹二朗に関するカミングアウトの内容とその相手について記してみよう。

 

平幹二朗のカミングアウトの内容

平幹二朗は同性愛者であったことで知られている。

 

平幹二朗だけではなく、大物俳優のTやHなども、嫁を娶ってはいるものの、関係を持てるのは同性だけであるという。

 

現在の社会では同性愛者も割と市民権を得て、とくに差別されることもないだろうが、昔は違った。

 

昭和の時代は特に忌み嫌われる傾向があったと思われる。

 

しかし、平幹二朗はれっきとした大物俳優であるから、それを分かった上で妻となったのが佐久間良子である。

 

平幹二朗のカミングアウトは嫁から

嫁の佐久間良子とは1968年のドラマで共演した際に親交を深めて、1970年4月16日に挙式を挙げた。

 

佐久間良子との間には長男が出来たが、後に離婚。

 

離婚のときには佐久間良子とその親族から、平幹二朗は同性愛者であったことが暴露されてしまったようである。

 

しかも、佐久間良子との結婚は平幹二朗がホモセクシュアルであることを隠すためのカモフラージュであったというから驚きだ。

 

そして、平幹二朗の相手である男性というのも、実は明らかになっているのだ。

 

 

平幹二朗のカミングアウトの相手

平幹二朗と愛人関係にあった男性として有名なのは、同じ俳優の勝呂誉(すぐろほまれ)である。

 

インテリタレントとしても、非常に有名であり、昔版のクイズ番組【タイムショック】では何と57人連続で勝ち抜くと、いう離れ業をやってのけたほどだ。

 

しかし、平幹二朗と関係を持った男性は勝呂誉だけではなく、何と一般人や芸能関係者を含めると、1000人以上はいるとも言われている。

 

確かに平幹二朗は50年以上にも渡り、映画界や芸能界に多大な影響を与え続けていた御仁。

 

そんな人間に迫られたら、なかなか断れる男性もいないのかも知れない。

 

平幹二朗のカミングアウトに纏わるエピソード

平幹二朗が佐久間良子と挙式を挙げた際、当時から大物俳優であったにのも関わらずに、平幹二朗側の親族が誰も参加していなかったのだという。

 

晩年は浅草や新宿などの同性愛者が集まる場所で、よく見かけられていたというから、むしろ隠している様子もなかったようだ。

 

とても、ここでは書けないエピソードも沢山あるのだが、類まれなる演技力は天才的であっても、やはり常識とはずれたところがあるが故なのかも知れない。

 

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